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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

多数決で守るべきこと

多数決をとることはあるであろう。この時、これは守るべきことだということがあるのではなかろうか。少数意見の尊重である。一般論で力を持っている側は、力を持っていてさらに多数を占めていて、そして多数決をすれば勝つことが大いに予想できるということがあるのではなかろうか。この時、たった一人だけあるいはかなり少ない人が逆の票を入れたり棄権した場合にも、その行動を尊重すべきであるということは守るべきではなかろうか。

 力を持っていて、さらに多数の票を占めている場合に、多数の票を入れるサイドとは違う行動をとる人がいたとしても、そのことを尊重しないと、自由な投票によってものごとを決めるということに対して、少数サイドへ圧力をかけてしまうことになるかもしれない。力があり、多数決で勝つだけの票数を持っている、それでさらに多数派と同じ投票行動をとらないわずかな人を尊重しないとなると、自由な意思表示をするということを否定することにつながるかもしれない。

 少数意見の尊重は重要なことではなかろうか。
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よくよく考えるとー世の中

無収入者とか低所得者のことを税金を払っていないとかいう議論をする人がいるかもしれない。しかし、例えば何か買ったとき、消費税分を負担していたりするのではなかろうか。預金の利子から税金を払っている場合だって税金を払っていることになる。なので、けっこう多くの人が税金を払っていることになるのではなかろうか。

 あまり消費しないので消費税の負担額が少ない人だって、少ないというかもしれないけれど、環境問題なんかが入ってくると、無駄な消費を少なくして地球に優しい大変よい生活をしているということになりそうである。税金の負担とか、地球環境問題とか、さまざまなテーマが同時に存在するなかで生活しているのだから、地球に優しい生活をするために消費を減らしたら消費税の負担額が少なくなったとかいう議論も成り立つであろう。

 所得が多く、税負担が多いといっても、労働に対する適正な所得なんて何が正解かなんて難しい。従業員の取り分、社長の取り分、株主の取り分、さあ、それぞれどれだけが適正かなんていってもこれが唯一の答えだなんてものは難しいであろう。所得が多く税負担が多く貢献しているといっても、その所得自体がだれか別の人がもっと多く受けるべきものを取っているのだという考え方だって成り立つかもしれない。

 税制度とか賃金制度なんかは政治がからんでいる。人により、何が自分にとってよい制度かなんて異なることはありうることであろう。そして、議員や知事は選挙で選ばれている。選挙を棄権すると自分の意思表示の機会を放棄することになるわけだ。

 今回はこんなところでストップしておこうと思う。

健康対策

健康対策のなかには表にでてくる可能性とか頻度が下がるものがあるのかもしれない。

 仮定した例で考えてみることにする。水俣病、この公害に関しては、今では原因が何でとか言われていることがある。しかし、まだ水俣病が発生していない段階から、仮にあの魚は危険だ、今後社会問題になる、そのように思っていた一般人がいるとする。そうすると、その人は危険だと思っている魚を食べないかもしれない。引っ越してしまうかもしれない。では、あの魚は危険ではないか、原因はメチル水銀でどこの会社が悪い、こんなことを世間に向けて言うであろうか。言わない可能性が高いかもしれない。

 このように、あれは健康に危険だと思っていても、それを言った時、証明できるのかとか、裁判を起こされたらとか考えたとき、実際どうなのか分からないのだし、自分は避けるけれども黙っておくということがあるのではなかろうか。

 このように考えていくと、健康対策は、世間にでてくる可能性や頻度が下がるものがあるのかもしれない。

生物について

生物の研究といったとき、遺伝子とかタンパク質とかそういう研究がもてはやされる時代なのかもしれない。たしかに、それは金儲けにつながる可能性がある。医学的な方面で金儲けにつながるというような可能性があるであろう。

 子供が喜びそうなことと言えば、動物の行動に関することのようなものではなかろうか。しかし、そこからはあまり金儲けにつながりそうな様子がないのではなかろうか。

 たしかに、医学の進歩によって、恩恵を受けているということはいえるかもしれない。医学をまったくもって否定してやろうというつもりはない。しかし、医学といえどもできてせいぜいこのくらいかという面があるのではなかろうか。

 自然界で生物は活動している。生物の行動とか生態学とか自然治癒力とか、そういう方面を注目していくとなにかしら新たなものの見方ができるかもしれないのではなかろうか。

参政権

 人々は政治への参加権利を獲得して自分の意思を政治に反映させる機会を作った。

 参政権は多くの人に常に与えられていたものではない。日本でも、選挙権が制限されていたのが、次第に拡大していった。イギリスでも、参政権は次第に拡大していった。古代ローマだってホルテンシウス法なんて、参政権かどうかというはなしはおいておいても、パトリキとプレブスの間の力関係で、プレブスの政治への影響力を向上させたと言う話である。

 人々は、自分の意思を政治へと反映させるために努力をしてきたと言える。今、日本では選挙権を持っている人がいるであろう。しかし、選挙に行かない人もいる。今ある権利と放棄してしまうと、自分の意思を政治へと反映させる機会を失うことになる。自分はどんな社会を作りたいのか、そのために投票をどうすればよいのか、投票を行わないのは自分は他人の思うままの社会で構わないと言っているようなものであるし、どうぞ自由に支配してくださいと言っているようなものである。人々が獲得してきた政治への参加権利を放棄してしまってはもったいない。

 社会や社会システムにともなって起こる自分の生活に不満を持っている人は、自分は恵まれていないと思うかもしれないが、そうなるように作為であれ不作為であれ社会・社会システムをつくることに加わって、自分も不満がある状況を作っている一人かもしれない。

 自分が持っている政治への参加権利、これはこれまでの人が獲得してくれたものであり、大切に使っていくべきものである。

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