忍者ブログ

社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

価値観、善悪、評価は人それぞれの世界だ

価値観・善悪・評価は人により異なり、人それぞれの世界なのだろう。

 新型コロナワクチンが良いか使うべきか実際がどうであれ、新型コロナワクチンは良いもので、推進する政治家や行政公務員、医師、歯科医師、製薬会社従業員は表彰されるべきで、使わない人は愚かと考える人がいるかもしれない。

 新型コロナワクチンが良いか使うべきか実際がどうであれ、新型コロナワクチンは悪いもので使う人は適切な行動がとれず、そういう人がいるから社会が良くならないので、自分とは関係ないところで自分の手を汚さず、そういう人が新型コロナワクチンで死ねば適切な行動をとる人が選民として生き残り社会が良くなり、また、環境破壊は問題であり、自分は関わらず自分の手を汚さず新型コロナワクチンを使う人が勝手に死んだら人口が減り自然環境を守ることができ、さらに、新型コロナワクチンを推進する政治家や行政公務員、医師、歯科医師、製薬会社従業員を法に則り死刑とし、絞首刑にて合法的に絞め殺せば、法律的な作業により人口が減り自然環境を守ることができ、自分は関わらず自分の手を汚さず勝手に人口が減り人間の数が減れば自然環境を守れ、生き残った選民による社会作りができ、それが善で優れたことという考えの一般人がいるかもしれない。

 新型コロナワクチンが良いか使うべきか実際がどうであれ、新型コロナワクチンは悪いものと考え、使った人が死亡したり健康を壊すのに優越感を味わい、使わない自身のことを選民とみなしたい人がいるかもしれない。

 新型コロナワクチンが良いか使うべきか実際がどうであれ、新型コロナワクチンを推進する元のあたりの人の部分では、理由はなんであれ、新型コロナワクチンを推進するのが善になるのかもしれない。

 入試勉強が全てではないのはその通りだが、もし、新型コロナワクチンが死ぬか生きるかになるかもしれない使うべきでない場合で、もし、そんな重要な問題の新型コロナワクチンを使った場合それこそ入試勉強が全てではない場合で、もし、学校の従業員がその場合に使った人である場合、学ぶべき相手なのかということになるのかもしれない。

 薬物を自分に使い全裸になり、容姿端麗の処女も全裸にして、ムチで打ったりムチャクチャにして破壊的な姿にしたり、その様子を動画で撮影することを、一人でも集団でもすることを合法的にできるようにした性風俗店を可能とする特区を作ることが善でそのような社会にすべきという人もいるかもしれない。なんとひどいことと思った人へ、そういう特区の性風俗店と他の性風俗店とアダルトビデオとセクハラに対し、社会がどうあるべきかという絶対的な基準や善悪の価値観の絶対的な基準ってあるのでしょうか。さらに、政治家や公務員に、そういう特区の性風俗店に賛成の人がいるのかどうかということもあるかもしれない。政治家や公務員に、政治家や公務員などだけがそういう性風俗店を使える特区を作るべきという人がいるかどうかということもあるかもしれない。18歳成人で18歳19歳をアダルトビデオ出演から保護するかどうかだって、善悪の価値観の絶対的な基準があるのだろうか。そういう特区の性風俗店が実現したとしたら、おそらく食料品店と同じく、料金、給与、税金様々なことでお金が動きそれは経済活動だろう。そういう特区の性風俗店が盛んになれば経済活動が盛んになり、それが善という価値観で、そのような社会を実現すべきという人がいるかもしれない。誰がどうなろうが、合法化すれば経済活動として立派であるという人もいるかもしれない。

 日本の戦国時代、縄文時代、江戸時代、様々な時代の様々な立場の人が今のある人と同じ価値観・感性・考え方だったのだろうか。

 このように、人によって価値観・善悪・評価は異なるのかもしれない。

 はっきり覚えていないが、芥川龍之介の作品の鼻は、他人が不幸せだと同情するが、幸福だと楽しくないという話だったように思うが、間違っているかもしれないので正確なことは各自で確認して欲しいが、人間の心を理解しないと、優等生のようなことを述べても物事は分からないのではなかろうか。
 さらに、芥川龍之介という作家を知っていたり高く評価すること自体、学校で習ったなど社会的に知るように誘導されていたり、高く評価するように誘導されているかという問題があり、自分で世の中全ての物語の中から自分だけの力で知って高く評価したのか、どれくらい世の中の物語を読んで自分の感性で評価したのかという問題があり、感性・価値観・考え方を誘導されコントロールされていないか、芥川龍之介という作家に対する絶対的な評価基準があるのかという問題もあるだろう。
 そうやって他のことでも価値観を誘導され、高く評価したものに被害を受けた時、例えば医者を評価し医者の医療で被害を受けた時、現実を知ったり、弁護士を高く評価し、弁護士から被害を受けた時現実を知ったりするのかもしれない。

 いずれにしろ、祖先が法律的にどういうことをした人であれ、祖先に対する各自の価値観での善悪優劣がどうであれ、祖先がどんな人であれ、この時代の人は多くの祖先からの子孫であろう。今ある人が好きな人嫌いな人どんな人とであれ、共通の人が祖先がいるかもしれず、ある人の祖先がそのある人が好きな人の祖先から殺されていたかもしれず、強姦されていたかもしれないのだ。そして、人間も含め物質は循環してきたのであろう。

 なお、この記事を参考にしても著者は各自の健康に責任をもたないし、この記事で新型コロナワクチンを使うべきとも使わないべきとも良いものとも悪いものとも意見を表明しない。新型コロナワクチンには複数の種類が存在するが、この記事では、種類により話が異なるか否かについても意見を表明しない。新型コロナワクチンについて正しいことは、各自で答えを見つけてほしい。また、法律など守るべきものに違反することを推奨しない。
PR

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

ブログ内検索

このエントリーをはてなブックマークに追加