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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

学校でいじめをしている人

学校でいじめをしている人はよく自分のしていることを考えた方が良いだろう。もし、いじめた相手が自殺してその人がいなくなったらあなたは本当に楽しいですか。まわりでいじめがあったことを知っていた人も、こんなことになるのだったら何か助けることができたかもしれないと思うのではなかろうか。その人が死んで楽しい場所になるのだろうか。いじめを隠そうとしても、発覚した時さらに大きな非難を受けるであろう。その他、民事訴訟が起きたり、刑事事件になるかもしれない。
 いじめているつもりではなかったと言っても、相手がどう思っているかはまた別の話であろう。自分のしていることをよく考えた方が良いだろう。
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千葉大学は悪徳業者、解散すべき、という可能性

千葉大学は悪徳業者である。解散すべきである。学校としてふさわしくない。新規学生募集業務を中止するべきである。この大学には税金を投入すべきではない。

 千葉大学医学部の学生や研修医による女性への性犯罪に関して、学生は大学の顧客であり、事業所の顧客が犯罪を起こしたということになる。研修医は大学の従業員である。

 全体がどうなのか完全には分からないため、仮定して書いていく箇所もある。

 仮に被害者が千葉大学の学生である場合(この点は仮にであり実際どうか分かりません)、被害者は千葉大学の顧客である。仮に学校とは関係ないところであっても、従業員が顧客に学校の活動以外の場所で性犯罪を犯したことになる。仮に学校の活動の一貫とされる活動の場合、従業員が顧客に業務中あるいは業務に関連したことで性犯罪を起こしたということになる可能性がある。仮に事業所の従業員が業務中に顧客に性犯罪を犯すことがあれば、その事業所は悪質な業者ということになる可能性があるし、事業所の法的責任が問われる可能性があり、被害者へ金銭補償などを行う必要がでてくる可能性がある。仮に、本件で大学が金銭補償する必要になった場合には、このようなことに税金を使うべきではない。今回の事件は犯罪自体問題だが、性犯罪の中でも大きな件となる問題であろう。仮に、被害者が大学の顧客であった場合、従業員が顧客に大きな件となる性犯罪を行うような大学は学校としてふさわしくなく、解散すべきであり、また、新規学生募集業務を中止するべきである。

 また、大学は料金を受け取り顧客である学生に商品・サービスを提供している。仮に、従業員が逮捕された学生に犯罪を犯すように勧めていたら(この点は仮にであり実際がどうか分かりません)、学校の活動の一貫でもしあったなら、犯罪者になるための商品・サービスを提供した疑いがあることになり、異常な業者・大学ということになる。また、仮に、性犯罪を学生と共同で行い学生が性犯罪を行う推進力を得た場合も(この点は仮にであり実際がどうか分かりません)、学校の活動の一貫でもしあったなら、犯罪者になるための商品・サービスを提供した疑いがあることになり、この場合も異常な業者・大学ということになる。仮に、犯罪者になるための商品・サービスを提供行っていた場合には、学生に不正なサービスを提供したということで、この点が問題になる可能性がある。

 一般論で、従業員が問題を起こした場合、上司に監督責任が生じる可能性がある。今回は、学校の活動に関係している可能性があり、その場合には大いに上司の監督責任が問われる可能性がある。
 今回の件の場合、著者は事業所トップの責任が問われるべきであると考える。

 千葉大学は大学としてふさわしくなく、税金を投入することをやめるべきである。

学校は遠足や修学旅行を廃止すべき

学校から遠足や修学旅行を廃止すべきであろう。今の時代、遠足や修学旅行なんか、学校で行かなくでも自分で行くことができる。インターネットなどを使って自分で計画を立てて費用がいくらかかるかなどもすべて自分でやっていった方が勉強になる。どうせ親が出した金で遠足や修学旅行をしている可能性が高く、金の使い道を強制せず、自分で行きたい人と旅行したいところへ旅行すればよく、旅行自体したくないのであればそれはそれで一つの人生であろう。学校はいじめのような問題があり、そんな面白くもないところへ金を払うのはくだらないと思う人もいるかもしれない。学校の教員だって、仕事だから遠足や修学旅行に関して肯定的なコメントをしているとしたらしているだけで、なければないでそれでやるだろう。そういう仕事をカットしてしまえばよいわけである。空いた時間をどうするか、休校にするのも一つの選択肢だし、苦手なことを自習する時間にするのも一つの選択肢だろう。

 その他、授業、部活動のようなことでも、学校がしなくたって他のところでその内容をすることができるところはあるであろう。

 行事として遠足や修学旅行を行いその結果費用を親に強制すべきではないであろう。

学校を批判的に語る

 学校とはそんなに素晴らしいものかという疑問がある。学校は、個性を伸ばすものではなく、画一化されたことを訓練する場所になっている。教科の学習だって世の中いろいろなテーマがあるが、決められたことをする場所であるし、制服とか組体操とかの団体行動、そんなの家業を継いだり起業するので関係ないという人もいるであろう。

 では、訓練する教科の内容、国語でも数学でも体育でも構わないのだが、画一化されたことを訓練するとしているその内容、テーマ、たとえ自分が選んだものでなかったとしても、学校のおかげでよくできるようになるかというと、教えている人が色々いて色々な授業があれば全てがそうだと言えるか言えないかという議論はおいておいても、できるように指導する力がないあるいは指導していないその他何であれ、できるように指導がなされていない傾向にあるのではなかろうか。要するに例えば、遅刻するなとか言って時間を拘束しておいて、遅刻しようがしまいが説明が下手だから聞いても無駄なので関係ないとか時間を奪われただけで無意味な時間とかということがあるかもしれないということである。

 では、学校に残る価値は何であろうか。高校や大学で言えば、単位や卒業証書を発行することであろう。例え、自分が本当にやりたいことではなく、しかも指導力が無く時間を奪われるだけで無意味であっても、大学でいえば学位を授与する機構としての役目を果たし、時間を奪い無意味な時間を過ごさせた迷惑料としてせめて学位を授与することに存在意義があるのではなかろうか。

 学校の教員にしろその他の従業員にしろ、その人がいるからその学校を選んで入ったというような従業員って何人いるだろうか。入ったところにたまたまその人がいたというだけではなかろうか。例えば大学の場合、客が大学という法人と契約したら、その大学の使用人あるいは使用人のようなものにあたるものとしての従業員が担当者としてでてきたということであって、ではその従業員を信用できるかといったらできるかもしれないしできないかもしれない、それが当然ではなかろうか。

 それに、学校の教員自体、小学校、中学校、高校でやっていることなんかそれをもっと発展させてたことをしている人は世の中にいるし、そこでやっているのと似たことを習い事で教えていたり、そこでやっている内容なんかわかっている人は世の中にたくさんいる。大学の場合もそこでやっていることと似たようなことを仕事などで扱っている人は世の中にいるであろう。習い事に関して、受験勉強も含め、習い事の方が教えるのがうまいと思っている人もいるであろう。だから、学校の教員って実はそんなにすごいものではない。

 学校の教員はすごくないくせに、成績決定や単位発行を決めるから力がある。アカデミックハラスメントもある。学校の教員から成績決定や単位発行をとったら、学校の教員をまともに相手にしたい人なんかどれだけいるのであろうか、相手にしたい人が減ることはかなりの可能性で確かであろう。

 さて、子供の数が減り、需給バランス、少ないものの価値は上がり多いものの価値は下がるということで、学校利用客の力が増大し、学校及び学校従業員の力が下がるということが起こっているのであろう。もちろん、学校及び学校従業員にも主張はあるかもしれない。しかしながら、学校利用客の力が上がり、学校及び学校従業員の力が下がるなか、学校及び学校従業員の問題点が取り上げられやすくなるのであろう。学校及び学校従業員の価値を低くみなす人もでているのであろう。

 モンスターペアレントと呼ばれる人、そのそれぞれの行為が正当か不当かの議論はここではしないし、本当にモンスターかそうでないかの議論もここではしないし、従ってモンスターペアレントと言われている各行為を推奨するかやめるよう言うかという議論もここではしない。ただ、モンスターペアレントと呼ばれる人が出現している背景には、学校利用客の力が上がり、学校及び学校従業員の力が下がり価値が低下したということがあるであろう。

学校利用者(学生)の学校に対する考え方

学校の客(学生)は、自分の権利について考えた方が良い。授業料を払ってあるいは行政からのサービスの一環で税金から運営されているサービスで、その内容を習う権利があるわけである。学生は学校の客であって、授業料を払っている場合スーパーで買い物をするのと同じく購入をしているわけである。買い物であったり行政が行うサービスであったりするわけだ。

 しかし、学校の成績が次の進路で使われるとか履歴書に卒業と書くとかで、正しいことを言ってもそれが学校からの弾圧の対象になるかもしれない。だから、どう行動するかはよく考えた方が良いかもしれない。

 しかしながら、学生はサービスを買った客であったり、あるいは行政のサービスを受けているのだという意識をもっていると、違った見方ができるかもしれない。自分がどう思いどう行動するかで学校が変わるかもしれない。例えば大学教員による客への意見の押しつけいう、大学教員が客に意見を押しつけるのが実態の大学教員のための学問の自由がなくなるかもしれない。しかし、正しいことでも学校から弾圧され、不利益を被るかもしれない。なのでどう行動するかはよく考えた方が良いかもしれない。

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