忍者ブログ

社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

優劣の価値観って何、社会の常識って何

何が優れているかについて、その社会の常識は異なるだろう。ある場所からある場所へ行くと評価が変わったり、大きく社会の価値観が転換することもあるだろう。また、その社会の常識とは異なる価値観の人もいるだろう。昔優れたとされたことが最悪のものと常識が変わることはあるだろうし、そうなっても今は最悪が常識でも昔のままの優れているという価値を持つ人もいるだろう。例えば政治の世界なんかで考えると良いかもしれない。

 では実際何が優れているか、それはその人がそう思うからその人にとって優れていると認識されるということだろう。その意見が多数派か少数派かはまた別の問題だろう。例えば、この食べ物は健康に悪い、それが事実だとして、しかし、それは事実だと思ったからその人にとって事実と認識されるわけで、健康に良いと思い込んでいる人には健康に良いと認識される。食べてみて健康を害しても、健康に良いと思い込んでいる人は別の要因で健康を害したと解釈するかもしれないし、本当の健康を害した原因を全て100パーセント正確に示すことができるか疑問である。例えば、他の要因もいくらか関わっていないか、全くないと言い切れるかという問題があるだろう。

 政治とか行政とかそれと同グループの価値を常識として流す人は、あることを正しいとして流しているわけだ。ある人がそう認識したらそう思うわけだ。

 何が優で何が劣か、要するに各自それぞれがレッテルをはっているということだ。良い評価であれ悪い評価であれ、レッテルをはってそう思っているわけだ。
PR

それは主張を実現する覚悟のある社会運動か

規模の大小はともかく社会運動は何かを目指しているものの、本当にそれを実現した社会にする覚悟を持ったものであるのかという問題があるだろう。どのような形であれ、現状を変えることを求める場合、変わった姿の社会で良い結果になるかもしれないし、悪い結果になるかもしれない。

 単に社会運動をするだけでなく、本当にそれが実現した時にそのような社会に住むことを覚悟しているのか、その際自分が実現した内容を動かす中心になる覚悟があるのか、あるいは担当者にその方向で実行することを求めているのか、その辺りのことがどうなのかということがあるだろう。

 大きめの変革を求める主張をしておいて、実際は社会全体の主張のバランスを考えてそれよりは小幅な変革になるだろうという計算のもと、本当に実現したいことを目指す社会運動もあるかもしれない。

 社会運動をしているものの実現させたいが実現しないと思っていて敗北を予想している場合や、敗北して構わず勝つための戦略もなく社会運動をするだけしていてそれで満足の場合や、負けるのが目的だが社会運動をしているという形を整える相手側の人間がなりすまし・撹乱・スパイ型の場合もあるかもしれない。

 社会を変えるのは難しくても自分が変わることはできるであろう。そして、社会や自分以外の人がどれだけどうなるかということではなかろうか。

あなたは勝ち組か負け組か?

あなたは勝ち組か負け組か何なのか、これについて考えてみる。

 金をいくら持っていても死んでしまったらおしまいである。そうはいうものの、人間いつかは死ぬ。では、日本でこんな形で死んでしまう人はどれくらいいるだろうか。自殺、交通事故、医療を受けたがために死んだ場合、火災での死亡、殺人事件の被害による死亡。こんなので死ぬのは嫌ではなかろうか。もちろん、例えば消防で火災を消す際に頑張ってくれたが巻き込まれて死んでしまう人もいるかもしれないというような場合もありうることは述べておく。

 さて、上のような形で死んだ人が負け組なのかそうでないのか、そういうことに関してはふれないこととする。何が原因で死んだかを負け組なのかどうか議論するということはやめておこう。

 しかし、上に挙げた形で死んだ人が年にどれくらいいるか、時代によって社会状況は異なるにしても、生きている間に上に挙げた形で死ぬ人がどれくらいいるか。今、生きている人は少なくとも生きているわけである。金をいくら持っているかという議論の前にとにかく生きているのである。人の一生は様々で、上のような形で死んだ人との比較で優劣をつけているわけではないが、どのような状況でも生きているのである。生きているということ自体に価値があると考えると良いのではなかろうか。

被害ー無関係なのにインターネットに関係者として情報出回る

問題が何か起きた時、インターネットに自分は関係ないのに情報が関係者として出されて迷惑する人がいるかもしれない。無関係なのに関係者とされた人にしてみれば大変嫌なことあろう。こういうことはなくなるべきである。

 しかし、インターネットでなくても迷惑を受けた人はいるはずだ。例えば、犯人でないにも関わらず警察に犯人とされたり、検察に刑事裁判にされたり、裁判官に有罪判決を出された人はいるであろう。インターネットどころか司法手段によって拘束された人もいるであろう。そして、マスコミによって犯人ではないのに犯人のように情報受け取り主が思う人がいるであろう報道をされた人もいるのではなかろうか(その報道をマスコミがどういう過程で流したかということはおいておいたとしても)。インターネットにしろ司法手段にしろマスコミにしろ、無関係なのに、犯人でないのに、そのようにされることはなくなるべきである。

 され、インターネットで関係ないのに関係有りとされることの話に戻るが、これを問題にするなら、司法やマスコミの方も問題にすべきだろう。全部問題にすべきだ。公務員がやっている司法とか、それなりの規模であったり認知があったりする場合もありうるマスコミを問題にせず、インターネットだけを問題にするのは公平ではない。インターネットの間違った情報が個人かどの規模の団体がしているのかは分からないが、司法やマスコミという大きな存在をとりあげず、個人でしていたら小さな存在がしているインターネットだけをとりあげるのは何か意図があるのか思いたくなる。

 インターネットで迷惑を受けた人が、自分の部分さえ回復できればとするのかどうするのか、それは分からない。実際迷惑を受けた人は自分の状況をどうにかするので大変だろう。他人のことにかまっていられないかもしれない。しかし、それだけを言っても、どうなるかは分からないが、たとえ話題となって自分の部分は同情が集まりかえって上手くいっても回復できても、他のことで迷惑を受けた人の共感を得ることはできないかもしれない。そして、例えばマスコミの間違った情報を信じたりそういう情報のビジネスが儲かる行為に自分が参加することで、間接的に他の人の誤情報による被害を応援していることになるかもしれないのである。

 従って、インターネットだけでなく司法やマスコミの間違いも含め、全体的に問題点として考えていくべきであろう。司法やマスコミの間違いで迷惑している人がいるであろうことを忘れてはならないだろう。

その仕事、まともな仕事か?良いこと言っても目的は金儲け?

仕事って色々あるけどその仕事はまともな仕事か、良いことを言っていても目的は金儲けだろ、そんな疑問があるかもしれない。

 まず、法律違反かどうかについて、もちろん法律に違反してはいけない。しかし、良い悪いというのは何を基準に良い悪いとするかだが、例えば、相手を幸せにするビジネスかどうか、相手を幸せにしてお金をもらっているかを基準にした時、法律を守ったかどうかとは異なる分類になるかもしれない。法律違反でも相手は幸せになる仕事があるかもしれないし、法律を守っても相手が不幸せになる仕事があるかもしれない。

 もちろん法律は守る必要がある。従って法律を守ってのうえでの話だが、ビジネスとして、相手が幸せになることをして金を儲けて構わないのではなかろうか。しょせん金儲けが目的で相手が幸せになることをしているのであっても、金が欲しくて仕事をしている人はいるわけで、相手が幸せになることをして金持ちになりたくて大儲けしても構わないのではなかろうか。金儲けで仕事をする人はいるわけだ、金持ちになりたい人もいるだろう、問題なのは、相手が幸せになるようなビジネスをして儲けているかではなかろうか。相手が幸せになることをどんどんして儲けてくれたら、それを使って幸せになる人が多くなるのではなかろうか。相手が幸せになることをしょせん金儲けが目的でして構わないわけである。

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキング

ブログ内検索

このエントリーをはてなブックマークに追加