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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

被害ー無関係なのにインターネットに関係者として情報出回る

問題が何か起きた時、インターネットに自分は関係ないのに情報が関係者として出されて迷惑する人がいるかもしれない。無関係なのに関係者とされた人にしてみれば大変嫌なことあろう。こういうことはなくなるべきである。

 しかし、インターネットでなくても迷惑を受けた人はいるはずだ。例えば、犯人でないにも関わらず警察に犯人とされたり、検察に刑事裁判にされたり、裁判官に有罪判決を出された人はいるであろう。インターネットどころか司法手段によって拘束された人もいるであろう。そして、マスコミによって犯人ではないのに犯人のように情報受け取り主が思う人がいるであろう報道をされた人もいるのではなかろうか(その報道をマスコミがどういう過程で流したかということはおいておいたとしても)。インターネットにしろ司法手段にしろマスコミにしろ、無関係なのに、犯人でないのに、そのようにされることはなくなるべきである。

 され、インターネットで関係ないのに関係有りとされることの話に戻るが、これを問題にするなら、司法やマスコミの方も問題にすべきだろう。全部問題にすべきだ。公務員がやっている司法とか、それなりの規模であったり認知があったりする場合もありうるマスコミを問題にせず、インターネットだけを問題にするのは公平ではない。インターネットの間違った情報が個人かどの規模の団体がしているのかは分からないが、司法やマスコミという大きな存在をとりあげず、個人でしていたら小さな存在がしているインターネットだけをとりあげるのは何か意図があるのか思いたくなる。

 インターネットで迷惑を受けた人が、自分の部分さえ回復できればとするのかどうするのか、それは分からない。実際迷惑を受けた人は自分の状況をどうにかするので大変だろう。他人のことにかまっていられないかもしれない。しかし、それだけを言っても、どうなるかは分からないが、たとえ話題となって自分の部分は同情が集まりかえって上手くいっても回復できても、他のことで迷惑を受けた人の共感を得ることはできないかもしれない。そして、例えばマスコミの間違った情報を信じたりそういう情報のビジネスが儲かる行為に自分が参加することで、間接的に他の人の誤情報による被害を応援していることになるかもしれないのである。

 従って、インターネットだけでなく司法やマスコミの間違いも含め、全体的に問題点として考えていくべきであろう。司法やマスコミの間違いで迷惑している人がいるであろうことを忘れてはならないだろう。
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学校でいじめをしている人

学校でいじめをしている人はよく自分のしていることを考えた方が良いだろう。もし、いじめた相手が自殺してその人がいなくなったらあなたは本当に楽しいですか。まわりでいじめがあったことを知っていた人も、こんなことになるのだったら何か助けることができたかもしれないと思うのではなかろうか。その人が死んで楽しい場所になるのだろうか。いじめを隠そうとしても、発覚した時さらに大きな非難を受けるであろう。その他、民事訴訟が起きたり、刑事事件になるかもしれない。
 いじめているつもりではなかったと言っても、相手がどう思っているかはまた別の話であろう。自分のしていることをよく考えた方が良いだろう。

その仕事、まともな仕事か?良いこと言っても目的は金儲け?

仕事って色々あるけどその仕事はまともな仕事か、良いことを言っていても目的は金儲けだろ、そんな疑問があるかもしれない。

 まず、法律違反かどうかについて、もちろん法律に違反してはいけない。しかし、良い悪いというのは何を基準に良い悪いとするかだが、例えば、相手を幸せにするビジネスかどうか、相手を幸せにしてお金をもらっているかを基準にした時、法律を守ったかどうかとは異なる分類になるかもしれない。法律違反でも相手は幸せになる仕事があるかもしれないし、法律を守っても相手が不幸せになる仕事があるかもしれない。

 もちろん法律は守る必要がある。従って法律を守ってのうえでの話だが、ビジネスとして、相手が幸せになることをして金を儲けて構わないのではなかろうか。しょせん金儲けが目的で相手が幸せになることをしているのであっても、金が欲しくて仕事をしている人はいるわけで、相手が幸せになることをして金持ちになりたくて大儲けしても構わないのではなかろうか。金儲けで仕事をする人はいるわけだ、金持ちになりたい人もいるだろう、問題なのは、相手が幸せになるようなビジネスをして儲けているかではなかろうか。相手が幸せになることをどんどんして儲けてくれたら、それを使って幸せになる人が多くなるのではなかろうか。相手が幸せになることをしょせん金儲けが目的でして構わないわけである。

この社会、あなたの思っているようなものではないのかも

実際どうか、分からないこともあるだろう。

 例えば北朝鮮をとりあげたい。トップに影武者がいるという意見があるだろう。本当にいるのか?いるとしたら何人いるのか?金正恩って生きているの?、仮に生きているとしても病気とかはどうか?、金正恩が影武者を操っているのか、金正恩には力がなく別の人が影武者を操っているのか?、内部で争いが起きていて、それぞれのチームが影武者を出しているということはないのか?
さて、実際のところどうなっているのだろうか。

 さらに言うなら、外交官や政治家やマスコミなど、北朝鮮が実際どうなっているのか知っている人がいるのか。どの程度知っているのか。

 こういう風に物事を見ていくと、マスコミとか学校とかで聞く話って本当なのかあえて違うことを言っているのか、本当のところ、どうなっているのだろうか。

社会で役立つ人とは

社会で役立つ人、これは仕事をしている人で一言ですますことはできないだろう。なぜなら、何をもって役立っているとするのかという問題があるからである。

 この仕事、実際問題利用者に役立っているのと思うような場合もあるのではなかろうか。それでも、組織の金儲けには役立っているのかもしれない。こういう場合は何に対して役立つのかというのが問題になるであろう。

 では、戦闘の武器を作る人、これは役立っているのだろうか。本当に人類のために役立っているのだろうか。戦争を行う軍隊の人、これだって人類に役立つと言えるのだろうか。こういう問題があるであろう。

 社会に役立つと言っても、どういう意味で役立つのかという問題があるであろう。社会的に役立つとか、社会的に優れた人とか言っても、一体どういう基準・価値観に基づいて言っているのかという問題があるであろう。

 自分以外によって作られた基準・価値観に何も考えずに従うと、自分自身がその基準・価値観に奴隷化してしまうのではなかろうか。

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