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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

能力の評価基準ー仕事に関して

単なる従業員としてどれだけ活躍していても評価しない。それは、自分の作業をうまくやっていても、部長とか上の役職にいても評価しない。なぜなら、それは作られた組織に入って組織の方針に従って動いているだけだからである。組織がなくても、自分で何かできるのかという問題がある。別の組織に転職しても、それは組織という箱を変えただけで、別の場所で組織の方針に従って動くわけである。従業員でどんなに自分の作業をうまくしていても、上の役職にいても、そんなにすごい人なら、組織の方針に合わせてではなく自分で何かを始めれば自由度は上がるだろうし、作業は自分で何かを始めてもするわけだし、自分がその活動で上のポジションになるわけだし、収入だって自分がすごいから高いのだったら自分で始めても高い収入を得ることができることになるのではなかろうか。要するに、すごくない、そういう可能性が大いにあるであろう。組織に属させてもらえなければ困る、という可能性は大いにあるのではなかろうか。従業員でも、自分で何かをするのを組織でやっているという状態に近いので話は別ということもあるかもしれないが。
 小さなことでもいい。獲得した金額は少なくてもいい。別に収入を得ていなくても誰かの役に立っていればいい、それをどう収入を得る形に変えるかを考えればいいわけだ。組織の従業員ではなく、自分で、自分でというイメージだけれども共同でというのでもいい、これも自分でに含めよう、自分で何かしている人、それこそ高く評価するに値するだろう。別に今は成功していると思っていなくてもいいのだ、成功するまでの過程かもしれないのだから。そもそも、成功か失敗かの評価は感性の問題ではなかろうか。
 組織に属しながら何かするというのもあるだろう。
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ゆうちょ銀行の預金上限

ゆうちょ銀行の預金額上限をどうするかなんてどうでもいい話だ。まず、仮に上限1000万円としてもそんなに預けるお金がない人には関係ない。仮に1000万円以上いくらを上限にしても上限をなくしても、上限1000万円でもそんなに預けるお金がない人には関係ない。1000万円ぐらいそれ以上持っている人なら、全部を一箇所に預けるのかどうかという問題があるだろう。

 このように見ていくと、ゆうちょ銀行の預金額上限が1000万円以上いくらであろうがどうでも構わないのではなかろうか。ところで、お金がなくて困っている人が世の中たくさんいるであろうが、日本政府・地方自治体はこういう問題をしっかりと取り組むべきではなかろうか。

優劣の価値観って何、社会の常識って何

何が優れているかについて、その社会の常識は異なるだろう。ある場所からある場所へ行くと評価が変わったり、大きく社会の価値観が転換することもあるだろう。また、その社会の常識とは異なる価値観の人もいるだろう。昔優れたとされたことが最悪のものと常識が変わることはあるだろうし、そうなっても今は最悪が常識でも昔のままの優れているという価値を持つ人もいるだろう。例えば政治の世界なんかで考えると良いかもしれない。

 では実際何が優れているか、それはその人がそう思うからその人にとって優れていると認識されるということだろう。その意見が多数派か少数派かはまた別の問題だろう。例えば、この食べ物は健康に悪い、それが事実だとして、しかし、それは事実だと思ったからその人にとって事実と認識されるわけで、健康に良いと思い込んでいる人には健康に良いと認識される。食べてみて健康を害しても、健康に良いと思い込んでいる人は別の要因で健康を害したと解釈するかもしれないし、本当の健康を害した原因を全て100パーセント正確に示すことができるか疑問である。例えば、他の要因もいくらか関わっていないか、全くないと言い切れるかという問題があるだろう。

 政治とか行政とかそれと同グループの価値を常識として流す人は、あることを正しいとして流しているわけだ。ある人がそう認識したらそう思うわけだ。

 何が優で何が劣か、要するに各自それぞれがレッテルをはっているということだ。良い評価であれ悪い評価であれ、レッテルをはってそう思っているわけだ。

それは主張を実現する覚悟のある社会運動か

規模の大小はともかく社会運動は何かを目指しているものの、本当にそれを実現した社会にする覚悟を持ったものであるのかという問題があるだろう。どのような形であれ、現状を変えることを求める場合、変わった姿の社会で良い結果になるかもしれないし、悪い結果になるかもしれない。

 単に社会運動をするだけでなく、本当にそれが実現した時にそのような社会に住むことを覚悟しているのか、その際自分が実現した内容を動かす中心になる覚悟があるのか、あるいは担当者にその方向で実行することを求めているのか、その辺りのことがどうなのかということがあるだろう。

 大きめの変革を求める主張をしておいて、実際は社会全体の主張のバランスを考えてそれよりは小幅な変革になるだろうという計算のもと、本当に実現したいことを目指す社会運動もあるかもしれない。

 社会運動をしているものの実現させたいが実現しないと思っていて敗北を予想している場合や、敗北して構わず勝つための戦略もなく社会運動をするだけしていてそれで満足の場合や、負けるのが目的だが社会運動をしているという形を整える相手側の人間がなりすまし・撹乱・スパイ型の場合もあるかもしれない。

 社会を変えるのは難しくても自分が変わることはできるであろう。そして、社会や自分以外の人がどれだけどうなるかということではなかろうか。

あなたは勝ち組か負け組か?

あなたは勝ち組か負け組か何なのか、これについて考えてみる。

 金をいくら持っていても死んでしまったらおしまいである。そうはいうものの、人間いつかは死ぬ。では、日本でこんな形で死んでしまう人はどれくらいいるだろうか。自殺、交通事故、医療を受けたがために死んだ場合、火災での死亡、殺人事件の被害による死亡。こんなので死ぬのは嫌ではなかろうか。もちろん、例えば消防で火災を消す際に頑張ってくれたが巻き込まれて死んでしまう人もいるかもしれないというような場合もありうることは述べておく。

 さて、上のような形で死んだ人が負け組なのかそうでないのか、そういうことに関してはふれないこととする。何が原因で死んだかを負け組なのかどうか議論するということはやめておこう。

 しかし、上に挙げた形で死んだ人が年にどれくらいいるか、時代によって社会状況は異なるにしても、生きている間に上に挙げた形で死ぬ人がどれくらいいるか。今、生きている人は少なくとも生きているわけである。金をいくら持っているかという議論の前にとにかく生きているのである。人の一生は様々で、上のような形で死んだ人との比較で優劣をつけているわけではないが、どのような状況でも生きているのである。生きているということ自体に価値があると考えると良いのではなかろうか。

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