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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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日本を良くする方法

日本を良くするには、国民は主権者で、公務員は奉仕者である、このことを認識することだろう。

 内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長・最高裁判所裁判官・首長・国会議員・地方議員・公務員、こういう人は公務員であり、奉仕者だ。国民の方がこれらよりも上位であり、内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長・最高裁判所裁判官・首長・国会議員・地方議員・公務員、こういう人は国民よりも下位となるであろう。国民の方が上となるであろう。
 内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長・最高裁判所裁判官・首長・国会議員・地方議員・公務員、こういう人は公務員で、国民が何かをやってもらっているわけではない。これらの人は国民に奉仕して当然なのである。こういう人達がやることだから仕方ないなんてことはない。こういう公務員は、上位者である国民のために働くべき存在で、国民のために公務員はしっかり働けということだ。公務員に何かしてもらっているとか、公務員がすることだから仕方ないなんて感覚ではなく、公務員は国民に奉仕して当然、国民は公務員よりも上位者、この感覚が重要だろう。

 そして、国民であり、納税者であれば、消費税でも預金の利子に課される所得税でも何かで税負担しているだろう、自分の負担した税金をどう使われているか、しっかり監視すれば良いことだろう。給与を受け取っている公務員はまともな仕事をしているか、補助金のような感じで支出されたお金はまともに使われているか、しっかりと監視し、自分で評価すると良いだろう。自分の負担した税金をこんなことに使わないでくれ、そういう内容か判断するという感覚が重要だろう。
 公務員はまともな活動をしているか、公務員が何かを相談する場所を作ってといっても価値のある話をしているか、ただ単に偉そうにしているだけかどうか、自分の負担した金を支出するに値する内容か判断すると良いだろう。

 学校でこうしろと言われ成績評価され、従業員として業務命令を受け評価され、経営者になっても資金繰りがとか失敗したら自己破産するかもしれないとかでお金に関して一種の評価をされ、そういうなかで、自分は主権者や納税者で、国民は公務員より上のはずの感覚を失っている、まずその意識を変えることが重要ではなかろうか。
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コロナウイルスに関連して考察 その他

コロナウイルスへの対処として、アビガンはどうかという話がある。アビガンに限らず、このブログを参考にしてどうなっても著者は責任をもたないのでそのつもりで、という前提で書いていく。
 治験か人体実験かもっと言えば国が承認した後の薬の使用に関する報告でも、使ってみなければ一人一人がどうなるか分からないわけで、どうそれに名前をつけるかの違いにすぎない。これだけコロナウイルス が問題だというのだったら、国がこの薬は安全かどうかと言ってもそれが絶対的に正しいとは限らず、これだけ問題にしているコロナウイルス に関しては、アビガンを自分の判断で使えるようにしても良いのではなかろうか。どうなっても自己責任ということで。国が認めた他の薬だって、何が起きるか使ってみないと分からないことには変わりない。なお、コロナウイルスということではなく一般論で、薬なんが原則使わない、使うのは例外という感覚が正しいだろう。
 ついでに、ある目的の薬が別のことにも効くかとかいう議論があるのだったら、もしアビガンを使った人で、HIVとかその他何かに感染している人に、使った場合があったら、どうなったか、その感染が消えたということがないかついでに調べて欲しいものだ。
 もっとも、コロナウイルス を離れて医療一般論ということで言ったら、医療を受けたせいで後悔する結果の人もいるであろうから、本当にそれぞれの医療が良いものか考えるべきという問題があるだろう。医者のせいで死ぬ人もいるだろう。そもそも、医療なんか例外的なもので、普段は関係ない、ヒーローではない、そういう位置づけで生きていられるようにするべきだろう。

 医学なんか、物理と生物の観点で言ったら、物理よりも馴染みがない人でも理解しやすいだろう。医学系の学部へ入る前に物理を入試に使った人がいても、実際医学でやっていることはもっと数学を多用する他の理系の分野と比べて馴染みのない人でも理解しやすい内容だろう。
 高校文系とは高校理系から数学理科を減らしたもので、理系でも英語や国語や地歴公民は学ぶ。もちろん数学理科が全てではないが、数学理科の計算や図形などを用いたあの内容を学んだということ自体、理系であればそういう経験をしているということで、そういう思考をする力を身につけていると言えるだろう。さらに言うと、物理化学選択の理系の方が生物化学選択の理系より、より計算や図形などを用いたあの内容を学んだといえるだろう。もちろん、スポーツ選手や芸術家を目指してなどで、もっと他のことをしていて理系のそれをする程時間がとれないので文系でというのを否定するつもりはない。しかし、理系の内容を学べば、あの内容を思考する力がついているだろうということだ。そういう力がある上で、物事を行えるということだ。だから、具体的な科学技術の分野をやろうとは思わなかったとか、文系に興味をもったとか、大学で文系に変わったとかでも、高校で理系、生物化学でもだが更に言うなら物理化学選択の理系を学んでということなら、理系のあの思考を身につけていてということになるだろう。

 学歴が見栄えの良い人を批判する人がいるが、学校なんか支配者の統制の手段で、自慢するものでもないし、見栄えが良い学歴の人をねたむほどのものでもない。ねたんで攻撃するのは、よほど自分に自信がないのだろう。他人をねたんで攻撃しても、自分は相手よりすごい人だとか自分を大きく見せても、所詮従業員をしている人なら、会社の経営破綻とともに自己破産の人ほどリスクをとっておらず、権限も少なく、どこまで言っても経営者の指示を受ける立場だろう。その程度だ。何かを、会社でなくても、自分が代表者的な存在としてやっているのとは話が違う。経営者にしても、コロナウイルス で経済状況が悪化しても、それでも利益をあげ、資金繰りも困らない方法の可能性はあるわけで、それが簡単か難しいかはともかくとしても、うまくやったかどうかで物事は進行する。経営なんていつどうなるか分からないし、そんな自分が偉いものと言えないことは分かっているだろう。例えば、就職活動をしている人に偉そうな態度をとっている人は、支援なんか必要なく、コロナウイルス でなくてもインフルエンザでも風邪でも感染して、他人に迷惑をかけることなんかない、そんなすごい人なのだろうか。もっとも、重要な内容ほど出てきにくいものだろうから、就職活動をしている人でも、弱そうな人に見せかけているだけで、その話が出たら、面接官をやっている人が知れば自分を劣った存在と思う話があるかもしれないが、そんな話は決して出てこないのかもしれない。
 なお、学校は統制の手段であるが、数学理科のあの思考をする力と言っているのは、必ずしも正しいのか、統制があるのでは、という議論はあったとしても、それでもあの思考をする力は一つの能力だろうということで、それがあって生きていて何かをしているのと、そういう練習をせずに何かをしているのは違うかもしれないという話である。矛盾を感じた人はそう理解していただきたい。

コロナウイルスによる社会の変化

コロナウイルス で経済活動が止まっているが、食料などの分配を適切に行えば生きていくことができるだろう。江戸時代や鎌倉時代や奈良時代と比べて物質的に豊かな社会に生きている。

 経済活動が盛んということは、ごみが多く作られ、大量生産大量消費になるだろう。お金自体に何か意味があるわけではなく、それは交換の手段、お金に何を使っているか、単位や10円でも何を買えるかは時代により、そもそもある物があるかも時代により異なるだろう。これまでのような大量生産大量消費の生活で環境を破壊など、見直すべきことがあるだろう。

 利害関係から総論賛成各論反対ではなく、新たな時代に価値観を変えて移行すべきなのかもしれない。あくまでもこの文章、自分の思いを書いていて、この文章を実行してどうなっても著者は責任を持たないということを述べておく。
外食、これって健康に良いのか、外食に限らず食の分野で健康に悪いものってあるのではなかろうか。砂糖の入ったもの、飲食するのをなくすなり減らすなりしてはどうか。
医療、内容にもよるだろうが、本当は健康にマイナスのものってあるかもしれない。
洗剤・シャンプーって体に良いのか。
通勤・仕事で長距離移動したり食べ物を遠くから運ぶ必要があるか。こんなにも貿易をする必要があるか。
ギャンブル依存症って言うけれど、パチンコ・競馬・競輪・モーターボートレース、こんなのやめてしまえばこれを機会に解決するかも。
学習塾、本なら本屋に売っているし、授業はインターネットにだせる。こんなにも塾はいらないし、そもそも塾に行っても簡単なことさえできるようになっていない、一体どんな教え方をしているのっていうこともあるだろう。収入が減っている家庭もあるだろうが、塾をやめるなり減らすなりすれば、自分で学習できる時間が増え、授業は映像を使えば、かえってもっとできるようになるかもしれない。
スポーツって今のありようが当たり前ではなく、ちょっと前の時代を見れば、今のようではなかっただろう。そもそもこんなスポーツ日本に江戸時代あったかなというようなものがあるだろう。
あっちではなくこっちで買っての営業なんかなくても大丈夫だろう。というか向こうから営業に電話とかインターホンを押して来てくれなくて大丈夫だろう。

 なくても構わないものがあるということだ。利害関係はあっても、なくなった方が健康に良いものってあるだろう。ある事を善と思うか悪と思うかは、自分次第だろう。食料などの分配を行えば新たな時代に移行は可能だろう。こんなにも仕事はしなくても生存できる。どんな社会へ向かいたいのかということだろう。

経営者・従業員は立派か、仕事とは、コロナウイルスに関連して

従業員にパワハラをする経営者とか、求職者に対してや子供相手の仕事で子供に対して嫌がらせをするとか、弱い立場と一般論で思われる人に嫌がらせをしていた人に関して書いていく。

 コロナウイルスで景気が悪くなっていると言えるだろうが、支援金か名目は何になっていようが、上に書いたような人は、受け取らなくても大丈夫なのだろうか。すごい人なら、受け取らなくても経営者なら経営は大丈夫だし、従業員なら対応できるようにやっているだろうが。社会の中で弱い立場になることもあるだろうが、それをその人の責任ということで嫌がらせのような攻撃をしていた人は、コロナウイルスは別かどうかは、あなたが今まで嫌がらせ攻撃をしていた内容と同じく、感性の問題で、別とも別でないとも各自がどう思うかということだ。つまり、コロナウイルス は別ではないとも言えるのだ。仮にコロナウイルス関連の支出で今後増税になって負担が増えても、大丈夫なようにできているのだろうか。そもそも、感染したらその影響が周りに発生するだろうが、迷惑をかけるだろうが、すごい人なら感染していないですよね。
 今仕事が減っているだろうが、これでも生きているわけで、そもそも今まで社会で行われていた仕事って、そんなに価値があるのか疑問という考え方もできるのではなかろうか。弱い立場の人に嫌がらせのようなことをしながら、自分は立派な仕事をしていると思っていた人には、こういう現実があるだろう。

 上に書いた話になるのではなかろうか。

 ここで、行政にぜひ以下のことをやってほしいと思う。
食べ物に困っている子供やホームレスの人に、食べ物を配ってほしい。魚市場なんか売れ残りの魚があるだろうし、仕事が減っている給食関係の会社もあるだろう。パン会社なんか、パンは腐りにくくちょうど良いだろう。日本は財布を落としても返ってくる場合があるという話があるだろう。困っている人に配るので、食べ物に困っていないのに受け取りにくるのはやめてくださいと協力を求めれば、普通の日本人ならおそらく協力するだろうと思う。

仕事の価値

仕事をすばらしいものだとか、立派なことをしていると思っている人がいるかもしれないが、もし、宝くじで大当たりになったとしたら、その仕事をするだろうか。仕事をするにしても、他の自分がやりたいと思う内容にする人もいるかもしれない。本当に今と全く同じよう行動するだろうか。今の仕事をするのとは違う形で活動をとなる人は、今の仕事を金のためにしているのであって、他にやりたいことがあったり、今の仕事を本当はくだらないと思っていたり、もっと優れた内容の活動があると思っているのかもしれない。
 自分は立派なことをしているとか本心に嘘をつくのではなく、本当の思いとなったとき、もしかしたら、やりたくないことをしていたり、くだらないことをしていたり、他にやりたいことがあったりするのにそれができない、かわいそうな人かもしれない。
 中小企業の経営者で横柄な態度をしていても、中小企業はちょっとした変化で経営破綻する場合もあるだろうし、会社の連帯保証人で自己破産となる人もいるであろう。どんな生き方をしていても、犯罪を犯しておらず自己破産していないが一番上で、次が自己破産する生き方、次が犯罪を犯した生き方、という価値観を採用すると、犯罪を犯しておらず自己破産していないの下に自己破産する生き方がくることになる。自己破産は制度で犯罪ではないのだが、誰かに迷惑をかけることになるかもしれないというのはあるだろう。中小企業の経営者で自己破産した場合そういうコースになる可能性があるわけだ。
 仕事は立派なことをしているとかいっても、本心自分の活動をどう思っているのかということがあるだろう。

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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