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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

逃げるが勝ち

逃げるが勝ち、これはよく覚えておいた方が良さそうだ。

 ・ 法律的な知識・社会制度を良く知る。
 ・ 格闘技を身につける。

 この二点は、やっておくとよいかもしれない。しかし、格闘技はいつでも使えば良いわけではなく、正当防衛として認められるような使って良い場合でなければ、問題になることがあるであろう。

 そもそも、危なそうな人がいた場合とか、不当なことをしてくる人がいても、いちいち相手にしていると大変であり、さっさと逃げて関わらないのが楽かもしれない、自分にとって特かもしれない。法律的な知識・社会制度や格闘技は、もしもの時はどうするかという問題で、関わらないのが一番かもしれない。

 もちろん本当にやると決めたら法律的な知識・社会制度を用いることになるし、正当防衛として認められる内容で格闘技を使わず殺されるのもくだらないであろう。

 トラブルを避け、トラブルになりそうな人と関わらない、これが良いであろう。

 ただ、法律的な知識・社会制度や格闘技はトラブルを避けるのにも心強いし、法律的な知識・社会制度や格闘技を自分は使える能力があるというだけでも心強いであろう。
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パナマ文書

パナマ文書によって金持ちが租税回避地を使って節税したという話がでてくるであろう。

 これがなぜ金持ちにとって痛い話かということについて考えてみよう。税金を仮に一定額集める場合に誰から集めるのかという問題がある。金持ちから集めるか金のない人から集めるのか。システムによって社会制度によってどうなるかが決まる。

 金持ちといえども、イメージ人々からの好感は重視するかもしれない。金を持っていても、あいつは気に入らないやつだ、自分だけ金を持っている醜いやつだと多くの人から思われては嫌であろうし、批判のパワーが自分に向かうことを恐れているかもしれない。寄付したり、奉仕活動をしたりして、好印象を作ろうとするかもしれない。そして、裏では他人には知られないように節税しているのかもしれない。

 実際金なんて、一定額あれば後はどうでも良いものである。食べ過ぎは病気になるかもしれないし、物といっても家にあるのもは使わないものがたくさんあってそのスペース及び物が無駄であったり、実際必要な金はいくらかという問題があるであろう。

 では、何が怖いか。やはり、あいつは嫌だという雰囲気や、自分だけ金を持っていて醜い人間だという評価や、寄付や奉仕活動が自分が税を納めれば良いのにそれをしないでただのパフォーマンスとの評価が下されることや、食事に誘ってもどんなことをしても相手にされない無視、これらのことが怖いのではなかろうか。

 一人一人自分の意識・思考が自分の行動となり、その行動が社会をつくる。社会運動も何を買い何を買わないかも自分の行動は社会を作ることにつながる。一人一人がどのような社会を目指すかであろう。社会をどんな力がどんな方向に動かすが、所詮人々のパワーがどこへ向かっているかではなかろうか。

 そのためにも情報、ある物事に対して良い印象を作るか悪い印象を作るか、どんな情報を各自が持つか、各自に持たせ持たせないか、これが重要となってくるのかもしれない。

自分で判断するしかない!

世の中意見が割れている内容、様々な意見がある内容あるであろう。本とかインターネットとか講演を聞くのにしても、様々な意見があるかもしれない。

 様々な意見があった場合、結局自分で判断するしかないであろう。誰かの意見を丸のみしても、誰かに決めてもらっても、そういう判断を自分がしているのだし、自分で考えて結論を出しても自分で判断したことになる。

 この意見を採用させようと思ってさまざまなPRをしている人もいるかもしれない。学校の教員をとかその分野の専門家だって本当に良い選択肢を推薦しているとは限らない。結局自分で判断するしかないのであろう。

 この記事の意見を採用するかどうか、それも自分で判断してください。この記事の意見を採用しようがしまいがその結果どうなろうが著者は責任を負いません。

多くの人を不幸せにする日本社会

多くの大学生や運転手が死亡したバス事故からしばらくたった。生き残った人も後遺症が残っているかもしれない。

 この事故で、運転手も乗客も不幸せになった。そして、バス会社だってこんなことになったら不幸せであろう。多くの人が不幸せになってしまった。バスの安全に関して考えが甘かったと言えるだろう。こんなバスが運転されているのを結果的に許してしまっている(はしらせている)社会に問題があるであろう。

 一般論で金持ちほど安全にお金をかけることができる。しかしながら、金持ちだって安全でないものの被害を何らかの形で受けることもあるであろう。安全でないバスが自分に突っ込んでくるかもしれない。

 真の幸福とは何か、考え直すときにきているのではなかろうか。

不祥事、後出し

不祥事が起きた場合に、後から同じようなことが発覚した方が非難を受けにくいということはなかろうか。似たように不祥事を他がやっていることが発覚し、大いに非難を受けた後、何例か他にもやっているところがありますとでた後、実はここも問題でしたというかそういうところはたくさんありますとなった場合、初めの方に発覚した所は初めは珍しいし大いに批判され、後の方になると慣れてきてその世界全体の問題だのような雰囲気になり、個別批判が少なくなる、そんな傾向があるのではなかろうか。

 初めの第一例は大いに批判される。
 次のいくつかも批判される。
 その世界全体の問題だとなってきた頃にはみんな慣れてしまっている。

 こんな傾向があるのではなかろうか。

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