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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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マスコミ、インターネット、情報

テレビとか新聞とか、もはやそれがどうしたと思って生きるのが良い時代ではなかろうか。テレビとか新聞ってそこにでてくるものって選ばれていて、こんなのはでてこないっていうものがある、でてこない情報がある、ということではなかろうか、また仮にそういうことだということで以下の議論をすすめる。

 テレビとか新聞以外にも、本や雑誌とかインターネットからでも情報を得ることができる。ただ、どれだったら多くの人が見てくれるかという問題はあるであろう。
 見る方からしたら、テレビ、新聞、本、雑誌のどれでも作る人が情報を選んでいる。インターネットは自分から確かに情報を選ぶことができる面もあるように見えるが、ニュースのリンク一覧が出ているサイトでは何にリンクするかをそこが選んでいるし、検索サイトにしても検索サイトがこのサイトは表示されないようにとかやろうと思えばできるだろう。
 しかし、基本的にインターネットであれば、例えテレビや新聞が扱わないとかあまり見ないような時間帯や場所にのせるような方向のテーマであろうというものでも、また、あるテーマの意見でも、この意見ださない情報だというようなものでも、扱うことができるし、仮にこの意見はテレビや新聞ではでてこないというものでも、好きなだけインターネット上にだすことができる。
 だったら、見る方はテレビや新聞でなくインターネットを使った方が情報をよく知れることにならないだろうか。だって規制された情報を見るよりも、好きなように主張したり説明したりしているものの方が、言いたいことを言い残すことなくだすことができるのではなかろうか。

 では、情報を発信するという点ではどうだろうか。テレビとか新聞に自分のだしたいものを誰でも自由にだせるのかという問題がある。インターネットなら比較的簡単だ。内閣の閣僚を決めました、各党のコメントです、誰々のコメントはこれです、というのを聞かなくても、自分の名前をなのってでも匿名ででも、私のコメントはこれです、このテーマに対する評論家の意見ではなく私の意見はこれです、私の意見をインターネットを通して発信できるのではなかろうか。一人一人が報道、評論、解説を行うことができるわけである。

 もはや、テレビや新聞ってどうでもよいものなのかもしれない。
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年金の心配だけではダメだ、命の心配も必要

年金がどれだけもらえるか心配しても、それだけではいけない。いくら自分がもらえるか心配かもしれないが、そもそももらえるのかという問題がある。年金にしろ、生活保護にしろ、もらっている人はとにかく生きていたわけである、その年齢まで。

 あなたは年金をもらう時まで生きているのだろうか。もらうとして何年間もらえるのだろうか。

 もらう前に過労死してしまってはおしまいである。いくら年金をもらう額を増やしてみたところでもらう前に死んでしまったらおしまいである。過労死に限らず人生での早期死亡という問題がある。様々な死亡原因があるであろう。うまく死なないようにやっていかないと、年金がいくらもらえるかの前に、そもそももらうまで生きているのかという話である。

お金ー支配ー

お金は交換の手段である。色々なものを交換する時に、お金を介して行う。

 しかし、力になったりもする。金があれば、それで何かをでき、力になる。また、金がなければ困るという恐怖のもとになったり、持っていても失わないかという恐怖のもとになる。

 さて、今の時代、金がなくて困っている人もいるであろう。一部のところに多くの富が集まっている。では、多数の99パーセントの人はどうすればよいか。
 なるべく小さな店を使うことだ。そうすれば、なるべく個人に近い単位でお金が動く。使われている店が社会で必要とされている店である。個人に近い単位でお金が動き、求められるものも個人に近い単位にする。こうすれば、個人が力をつけることができるであろう。

 個人が力をつければ、一部の者の意見で社会が動くのではなく、多数の意見によって社会が動くようになるであろう。

政治と金

政治と金(カネ)の問題が話題となり、議員辞職する場合、逮捕される場合、様々な場合があるであろう。しかし、この問題、内容によっては大きな問題から小さな内容、金額も様々な場合があるであろう。そして、発覚している場合、しない場合があるのではなかろうか。発覚しても、マスコミによって大きくとりあげられる場合と、比較的話題とりあげられない場合があるのではなかろうか。

 政治と金の問題、これって政治のテーマとなっていることをどうするかという時の、そのテーマを進めるにしろ邪魔するにしろ、そのための材料になったり、選挙で相手を攻撃する材料になったりしうるのではなかろうか。気にいらない政治家を攻撃する材料になったりしうるのではなかろうか。味方の政治家については問題があっても触れず、気にいらない政治家のことは小さなことでも問題にする、そういうことが起こりうるのではなかろうか。

 政治と金の問題には、そのような面がありうるのではなかろうか。

高校生が政治活動を学校に届け出る必要があるのはおかしい

高校生が政治活動を学校に届け出る必要があるなんてことはおかしい。学校に金を払って行っている客がなんで政治活動を学校に届け出る必要があるのか分からない。政治活動は学校には関係のない話である。

 どんな習い事をしようが学校外の話だ。スーパーでの買い物はスーパーとの問題だ。学校との問題は基本的に学校内容のみであるべきである。

 学校は金を受け取っているのだから、債務である自分たちのサービスを教員免許を持っている人が行うなどという形式的な話でなく、価値ある商品として提供すべきである。学校外の政治活動を届け出させるなどというふざけた話はおかしい。

 高校生は60歳の人がなってもよいはずである。選挙権を持つ人に、政治活動を届け出ろなんていうのがおかしな話である。選挙権を持つ人に、上から目線で政治活動を届け出ろというのがおかしいし、もし政治活動に指導なんてことをしたらなんでお前の指導なんて聞かないといけないんだこっちの勝手だろうと思う方が普通だろう。政治活動を届け出ろと言っている時点で敵でしかない。

 高校生は法律や、社会制度、権利など、しっかりと勉強し、もし何か不当な高校による弾圧がある場合には対抗すべきであるが、成績などによる嫌がらせを受けるかもしれない。不当な退学処分にしてくるかもしれない。

 権利は獲得、保持する努力がなくして存在しないのかもしれない。

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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