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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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お金を使う技術

お金を持っても、それが必ずしもいいこととは限らない。例えば、化粧品による健康被害をもし受けたら、金がなければ買えなかったわけだ。仮に賠償金をもらっても、健康の方が賠償金よりも大切だと私は思う。医療によって死んだ人も、金がなければその医療を受けずにすんだとなるかもしれない。このように、金がない方が良かったとなるかもしれないことを考えることができるのではなかろうか。

 もちろん、お金があればあんな有意義なことができるのに残念となる場合もあり得るだろう。従って、お金を持っても、いかに有効利用する能力があるかが重要ポイントとなってくるのではなかろうか。

 お金を持っていること自体、安心感とか、信用につながることもあるかもしれない。しかし、泥棒に狙われるかもしれないということも考えることができるだろう。

 お金持ちが寄付したということがあるかもしれないが、それはどのような狙いだろう。純粋な思いかもしれないし、税金対策が何かあるのかもしれないし、良い人のように見せる作戦かもしれないし、良いイメージのすることに自分の名前をつけてこの人のおかげでこれがありますとしたいのかもしれない。

 寄付した先にお金をどう使って物事を実現させるかは任せる場合、自分でそのお金を使い実際に自分が良いと思っていることに関わってやっていくわけではない。すると、自分の思うようになるかという問題があるし、結局自分ではそのお金を有効利用せずに誰かに目的を決めたとしても渡すことになり、自分で完全に使っていることにはならないだろう。能力がないのか時間がないのかその他何にしろ、自分でお金を完全には有効利用しきれていないわけだ。

 それぞれの人、一人一人いったいいくらあれば幸せに暮らすことができるのだろうか。
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意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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