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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

学校教員や上司などの聞く価値のない話

学校教員とか上司とか面接官とかそういう立場を利用して、自分の優れた話を聞かせようと実際はくだらない内容の話をする人がいるであろう。こんなの聞かされるとたまったものではないが、それを採用すると自分に有害な影響が及ぶ話なんて最悪である。

 いくら立場を利用して偉そうに優れた話をしているのだとそう信じ込んで話していても、実際はそれは間違っていたり、そんな方針で生きていたら害が自分に発生するであろうまたはするかもしれない話をしている人、ただ間違った認識で生きているだけなのか実際に自分に不都合なことが生じるのかはわからないが、その人はどういう生き方をするのであろうか。

 実際世の中では不都合なことが起きたり問題が生じている人がいるであろう。その人がどこかで偉そうにしているかは知らないが、いくら自分は偉いのだってやってみても、実は問題が生じているあるいは将来生じる、崩壊する、そういうことなのかもしれない。

 学校教員とか上司とか面接官とかの有害な話で自分の人生を崩壊させないことだ。偉そうに有害な話をしている本人がどう生きるか、それは分からない。
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必要な仕事、いらない仕事

世の中には必要ない仕事がある。例えば大学教員(特に文科系(主張は関係ない)、芸術系、体育系)。頼みもしないのにやってくる営業(訪問とか電話とか)。有害な結果になった医療。色々と必要がない仕事ってあるであろう。

 必要な仕事もあるであろう。介護なんか必要な仕事であろう。なぜ避ける人がいるのか、それは収入が少ないからというのが理由の一つにあるのではなかろうか。

 本当に必要な仕事であっても避けられてしまう、一方で不要な仕事がある。不要どころかない方が良い場合があるだろう。

 なんで必要な仕事を避けるのかというと、それは収入が少ないとか、そういうのは社会構造がそうなっていて、行政の政策次第で収入なんて多くしたりできうるわけである。

 無農薬野菜だって、そこへ補助金をだすとかそういうことをしていけば、日本は食料を捨てているのだから、無農薬野菜の割合だって増やすことができるだろう。

 どういう社会にしていきたいのかということではなかろうか。

社会人は偉い人か

社会人と呼ばれている者は学生よりも偉いと思っている人がいるかもしれないが、本当にそうであろうか。

 学生と言ってもアルバイトなど仕事をしている時は労働者である。学生と言っても、通信制とか夜間コースとかもあるであろう。正社員を昔していたが学生を今している人もいるであろう。学生もしているし別のこともしている人もいるであろう。それぞれが自分の人生を生きているわけで、特に社会人と呼ばれる人の方が学生よりも偉いなんてことはないであろう。

 社会人と呼ばれる人の中には違法行為を行って逮捕される人もいるであろう。これって大問題であろう。それでも学生よりも偉いのであろうか。

 社会人と呼ばれる人で自分は学生より上だ、学生に指導をするに値するのだ、なんてことを思っているとしたら、自分を大きく見せたいとか、自分のことを評価してもらえないものだからそういう振る舞いをしているとかなのかもしれない。

 それなりの人物なら、この文章を読んでも、自分は完全ではないし、いろいろと学ぶことはあるであろう、人に教える機会があれば、教えるのだってどうすれば効果的か良い影響を与えることができるか、自分は相手の人生の妨げにならないか、そういうことを思うこともあり、怒ったりはしないであろう。

働き方の改革

日本の働き方を変えることはできるであろう。働く時間を減らすのだ。日本には必要のない仕事がある。といっても音楽はいらないけれども楽しんでいる人からなくすとかそういう楽しみをなくすような改革ではない。必要がなくどちらかというといらないというか迷惑な仕事をなくすのだ。

 例えば、一般家庭に訪問販売にしろ電話営業にしろ、普通そんなことやってくれなくても欲しければ自分で探すであろう。広告だって郵便受けに入れてくれなくても欲しければ自分で探すであろう。こういうのは、一般家庭の人は時間を取られて迷惑ではなかろうか。そういういらない仕事で迷惑な仕事をなくしてしまえばよいのだ。

 そういうことをすると、仕事がなくなって困る人がいるとなるかもしれない。しかし、食料に関することのように生きていくのに必要な仕事と、音楽教室のような楽しみでやっていることでなく、どちらかというと迷惑な仕事はない方が人々にとって幸せである。
 一方で過労死とかそのような問題もある。
 例えば、生きていくのに必要な仕事と楽しみのための仕事量の合計が100とすると、100の仕事を誰がするのかという問題で、どちらかというと迷惑な仕事をなくし合計100の仕事を過労死しないように分担し、仕事が回ってこない人がでた場合、別に働かなくても構わないから仕事がないのだから、お金を生きていけるように給付すればよいのではなかろうか。
 働く人も過労死するほど働かずにすみ、どちらかというと迷惑な仕事に自由時間を割いて付き合わされることもなく、よいのではなかろうか。

 迷惑な仕事でもお金が動けば経済が活性化するとか言ってみても、お金がいくら消費で回転しても仕方がないのではないか。これはどれだけ意味があるのかということとして例えば、不動産の転売を勧めもしなければ否定的意見を述べるわけでもないが、日本中の人が仮に不動産転売をしょっちゅうして、その結果消費された金額の総額が何円に増えたって、基本的にその土地はその土地でしかなくその土地を誰のものにするかの問題で、手続きとかで仕事が増えても、仕事に時間を取られただけでそんな作業、生命を維持するのに必要か疑問で趣味のように楽しみになるかも疑問である(不動産転売が趣味あるいは楽しみの人もいるかもしれないが)。仮にこんなことで過労死したらくだらないことだ。

マスコミ、インターネット、情報

テレビとか新聞とか、もはやそれがどうしたと思って生きるのが良い時代ではなかろうか。テレビとか新聞ってそこにでてくるものって選ばれていて、こんなのはでてこないっていうものがある、でてこない情報がある、ということではなかろうか、また仮にそういうことだということで以下の議論をすすめる。

 テレビとか新聞以外にも、本や雑誌とかインターネットからでも情報を得ることができる。ただ、どれだったら多くの人が見てくれるかという問題はあるであろう。
 見る方からしたら、テレビ、新聞、本、雑誌のどれでも作る人が情報を選んでいる。インターネットは自分から確かに情報を選ぶことができる面もあるように見えるが、ニュースのリンク一覧が出ているサイトでは何にリンクするかをそこが選んでいるし、検索サイトにしても検索サイトがこのサイトは表示されないようにとかやろうと思えばできるだろう。
 しかし、基本的にインターネットであれば、例えテレビや新聞が扱わないとかあまり見ないような時間帯や場所にのせるような方向のテーマであろうというものでも、また、あるテーマの意見でも、この意見ださない情報だというようなものでも、扱うことができるし、仮にこの意見はテレビや新聞ではでてこないというものでも、好きなだけインターネット上にだすことができる。
 だったら、見る方はテレビや新聞でなくインターネットを使った方が情報をよく知れることにならないだろうか。だって規制された情報を見るよりも、好きなように主張したり説明したりしているものの方が、言いたいことを言い残すことなくだすことができるのではなかろうか。

 では、情報を発信するという点ではどうだろうか。テレビとか新聞に自分のだしたいものを誰でも自由にだせるのかという問題がある。インターネットなら比較的簡単だ。内閣の閣僚を決めました、各党のコメントです、誰々のコメントはこれです、というのを聞かなくても、自分の名前をなのってでも匿名ででも、私のコメントはこれです、このテーマに対する評論家の意見ではなく私の意見はこれです、私の意見をインターネットを通して発信できるのではなかろうか。一人一人が報道、評論、解説を行うことができるわけである。

 もはや、テレビや新聞ってどうでもよいものなのかもしれない。

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