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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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日本年金機構のトップは辞任すべき

日本年金機構から基礎年金番号、氏名、生年月日、住所の情報が流出した。これは大変問題である。もちろん、こういうことをする人が悪いのであるが、こういうことが起こりうるのだから、日本年金機構は情報が流出しないようしておかなければならない。年金は任意ではなく加入しなければならないものになっている。強制加入、給与から源泉徴収、もちろん年金制度は必要で守らなければならないが、強制的に金をとっておいてさらに情報流出とはメチャクチャな話である。

 情報が流出した人の基礎年金番号を変更するとのことであるが、まさかとは思うが、これって基礎年金番号をかえて誰のものか分からなくして、年金支給額を減らすためにわざとやった自作自演行為ではと疑いたくなる。

 日本年金機構のトップは当然辞任すべきである。また、このことにより対応の費用が発生するのだから、日本年金機構のトップは辞任して退職金がもしあるなら返上すべきである。
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テクニック

世の中にテクニックがある。例えば、何かを説明する時、「何々について三つのポイントを説明します。」と言ってから説明すると分かりやすいと言うような話である。

 確かに、このテクニックを知らなかったとしたら、損をすることがあるかもしれない。そのことで不利になる可能性もある。しかし、このテクニックを知っていればそれで全て解決かと言えばそうではなく、説明に興味を持ってもらうためには、もっと他にも多くの要素があるのではなかろうか

 テクニックと言えば、簡単に見えるかもしれない。しかし、簡単なことはすぐに知ってしまえばそれでたやすいものということになるのではなかろうか。やはり、決定打となってくるのは、自分の試行錯誤や努力ではなかろうか

 それぞれのテクニックについてこの説明があてはまるかどうか、それこそまさに、試行錯誤や努力や自分で考えることによって答えを見つけるべきものであろう。答えは読者の皆様におまかせします。

ドローンに関連して少年逮捕

威力業務妨害容疑でドローンに関連して逮捕された少年がいる。この件に関しては、安全性や倫理的な問題とは切り離して、法律的に違法かどうかということを司法はきっちりと審査する必要がある確かに、危険な行為だからやめて欲しいという一般人の思いはもっともな感性であろう。しかし、逮捕ということになると、法律違反行為が存在することが必要であり、倫理的にとか感情的なもので逮捕してはならない

 今回の逮捕が違法行為が存在しての逮捕に該当するのか否かは分からない。今回の事件の全体を知っているわけではなく、分からない部分がある。しかしである、逮捕するなら違法行為がないと逮捕してはならないという主張は強調したい。
感情的に問題行為だから逮捕ということなのか、法律違反で逮捕ということなのか、分からない部分があり、その点に関してははっきりさせる必要があるであろう。この件に関しては、弁護士が違法かどうかをしっかりと審査し、しっかりとした弁護活動をおこなうことが望まれる。

 三社祭でドローンを飛ばすと予告して警備強化をさせたなどの事実があったとして(ドローンを飛ばすと予告したという事実の有無を確認する必要があるかもしれない)、それが違法行為かどうか内容に関しては審査する必要がある。
三社祭でドローンを飛ばすこと自体が違法かどうか、私はどうか知りませんが仮に三社祭でドローンを飛ばすこと自体違法でないなら、それに加えて私はどうか知りませんが仮にドローンを飛ばすと言ったらやめてくれと言う話になり警備強化になったというところまでなら違法と言えるかどうか、これはよく審査する必要があるのではなかろうか。ドローンをもっていたからといって私はどうか知りませんがある場所で持っていること自体が違法で仮にないなら警察が入っていってよいか否かという問題も考える必要があるのではなかろうか。逮捕には違法行為が必要であろうし、法律上問題ない行為に警察が入っていってよいかということは考えておく必要があるであろう。

 もちろん、違法かどうかに関わらず、危ないから警察が入ってきてくれて安全を守ってくれたという意見の人もいるであろうし、自分が危険な目にあえば、守ってくれたと思うかもしれない。しかし、法律上警察が入ることができることかどうかははっきりさせる必要があり、守られなければならないことであろう。

 ここからの話もどうなのか事実関係が分からないで書く部分があるのだが、インターネットを使って情報発信していたということであるから、警察が逮捕する前に、インターネットの管理をしているところが、このような行為をして情報発信をするのを禁止するような措置をとることができなかったのか、この点は議論すべきであろう。

 (この文章の中で事実がどうか分からないとしている部分に関してはどこかに書いてあるとありがたいのだが。)


大学入試ー公平性

大学入試が公平かということに関して今回は考えていこう。

 所得の格差により、金持ちの家庭の方が学習塾とかに通わせることができて有利とかいう議論もあるが、そういう議論はここでは置いておこう。

 試験の内容に関して考えていく。面接とか小論文だと、どうしても判定者の主観が入ってしまうのではなかろうか。マークシートだったら機械がどう読み取ったかでおしまいである。それだって故障があるかもしれないが(
それも実力のうちなのか不公平なのかはここでは置いておこう)。記述式の答案だって、薄い字で読めないかどうかの問題になると、自分の答案にあたった採点者によるのではなかろうか。そして、決定的な不公平な点は、理科や地歴公民の選択科目である。理科の中でとか地歴公民の中でとかで、どの科目を物理とか化学とか生物とかで例えば一つ選ぶ場合に実際問題予め科目をきめて勉強していて、それを解く可能性が高いであろう。ということは、たまたまその時の試験で選択科目のどの教科が簡単か難しいかで有利不利ができてしまう

 まあ大学入試は、その時出題された問題がたまたま昨日やって覚えたところだったら有利なわけだし、運みたいなところがどうしてももともとあるものなのだろう

朝御飯と成績

 朝御飯と成績の関係が話題になることがある。関係性があるのではという考えを否定しようというわけではない。勉強に限らず、スポーツとの関係でも、朝御飯を食べた方が良い成果を出すことができるということはありうるであろう。

 しかし、ここでもう一つ別の観点から物事を考えてみる必要があると思う。仮に、朝御飯が
成績に関係していたとしても、朝御飯を食べる子供の家庭環境がどうかという問題である。すなわち、朝御飯を食べる子供と食べない子供では、統計的に言って、食べる子供の家庭の方が恵まれている、収入が多い、しっかりと子供の面倒をみているというような傾向があるかどうかである。もし、朝御飯が用意されない原因が、家庭が崩壊していることであるとすれば、そのことが成績との関係に影響しているのではないかという疑いが生じる。この辺りのことを考えてみないと朝御飯が成績にどれぐらい影響しているかということは簡単には結論付けることはできないのではなかろうか。金持ちの家庭は塾に通わせたりできて成績と相関関係があるのではないかという考えもあるであろう。金があるのだから、その金を使って朝御飯を食べるようにな体制にしているのではないかという考え方もありうるのではなかろうか。

 この辺りのことがどうなのかという疑問がある。

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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