学校に行くと学校の教員が自分の意見が正しいというルールを押し付けてくるのではなかろうか。それに反発する人、それに適応する人様々だろう。
社会の出来事に関して、政治的なテーマで大学の教員が発言することがあるかもしれない。それに対して自分は反対、賛成、様々な意見があるであろう。
さて、大学の教員が政治的なテーマを発言したとしても、大学の教員に限らず評論家でも有名人でも政治家でも、講演会にしろ本にしろインターネット、マスコミ、国会、何にしろ、たとえ自分と同じ方向性を目指して主張していても、追従しているようではいけない。崇拝しているようではいけない。
自分の考え方がしっかりとあり、そのうえで、似た考えの人とあるテーマで一緒に活動することはあっても、自分がまずあり、少なくとも相手とは対等で決して下ではないということで、一緒に活動するなら活動し、講演会や本などを見るならうのみにするのではなく、こんなことを話している書いている社会現象があると思って一つの意見と思って見ることではなかろうか。国会議員のやってくる集会に行くにしても、こんなのもあるのかと眺めるつもりであったり、そのテーマに関して国会議員を使うつもりでいくことだ。
もちろん、そんな人はいないと思うが、このブログを崇拝しているようではいけない。他の誰かのブログでも同様に、崇拝しているようではいけない。こんなのもあるのかと眺めたり、情報を得たり、使うつもりでみることだ。
店を使う時でも店屋のいうことに追従するようではまずいのではなかろうか。自分がある程度内容を分かっていないと相手のいうがままになってしまうかもしれない。すると主体性がなくなる。自分がまずあり、店屋のようなことを言う人もいるのだという一意見として眺めることができるのが良いのではなかろうか。
では、主体性を持つにはどうすれば良いか。それは、しっかり各内容を勉強し、知識を得て自分の考えを持つことである。その分野を知らなければどうにもならない。その上で、インターネットに、ブログでもなんでも良いから匿名ブログならできるであろう、無料でブログをすることができるサービスもあるであろう、自分の考えを書き、情報発信し、主体性を発揮することだ。
店屋などを使おうとすると、従業員が嫌がらせとか不当なことをしてくる場合があるかもしれない。
対策の一つとして、抗議することだ。抗議しないとまたやられるかもしれない。やっても大丈夫ってやってくるかもしれない。本人に抗議するか、他の従業員に抗議するかそこはどうするかだ。どんな展開になるかを予想し、自分が更なる被害を受けないようにすることだ。
また、利用を停止する買わないというのも一つの手だ。アンケートにも応じない。そんなところは使わない、それも一つの方法だ。使わなくてもアンケートに応じなくても構わないのならそれも一つであろう。義務のないことをしないまでの話である。他に同業他社はあるはずだ。使ってくれない、金が入ってこない、これは相手に取ってとても困る話である。しかし、自分が苦痛を受けないために義務のないことをしないまでの話である。
さらに、行政機関にもっていくというのも一つの方法だろう。
自分を主役とした人生、きっちりと自分をもった人生を送ると楽しいのではなかろうか。
(どうしても、学校で成績を取るためとかの理由で教員に合わせておくこともあるかもしれないが。)
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