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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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どんな社会を作るか、社会運動、社会状況

日本はパワハラやいじめや嫌がらせがある社会だ。そして、世界の歴史を考えれば、勝った方が負けた方を奴隷のように扱う世界や、勝つか負けるかの日本の戦国時代というように、みんな仲良くという理想をいくら述べてみても、程度がどうであれみんな仲良くではないのが世の中なのかもしれない。支配欲とか、権力欲とか、優越を見せつける欲とか、競争とかがあるのかもしれない。あいつは死んで欲しいと思っている人もいるかもしれない。そんなことないと優等生のようなことを言っても、現に、日本で憎しみによる殺人事件があるではないか。我々と言ったとき、誰が我々のなかに入っていて、誰が入っていないのか、入っていない人を敵と考えている場合はないだろうか。

 社会運動といっても、何が正義かは、人それぞれの感性となるだろう。何々を目指す社会運動といっても、その反対の意見の人もいるかもしれず、正義は人それぞれによって異なるだろうし、法律などと照らしてと言っても、法律などの方が理想の正義となっておらず変えるべきという意見の人もいるかもしれない。そして、社会運動といったとき、みんな仲良くではなく、味方と敵という想定があるかもしれない。そして、社会運動をしている人自体、社会運動を産業にしていたり、自分が得をする手段となっているかもしれない。社会運動をする過程で、そのグループでの権力欲実現や金銭獲得や知名度を上げたり、主張が実現したら、知名度を生かして金銭獲得や支配欲・権力欲実現につなげるのかもしれない。例えば、自分の財産を大量に失って、知名度も上がらず、誰にも知られず従って感謝されず、自分は得せず、他人が大いに得をする、そういう社会運動をする人がどれだけいるかは疑問である。

 さて、コロナ問題と言っているものについて考えてみる。この記事においては、新型コロナワクチンは使うべきか使わないべきかどうすべきかという問題もコロナ問題に含まれているものとする。実際問題、健康面についてうまく対処した人が社会で優位となるであろうし、死んだらそれでおしまいだ。では、全ての人がみんな健康であれば良いと思っているであろうか。自分は何も手を加えず、自分の手は汚していないが、自分以外のところで勝手に発生したことで、あいつが健康を害しもっというなら死んで良かったと思っている人もいるかもしれない。憎しみからの殺人事件があるなら、誰かが健康を壊すといいと思っている人がいないと言い切ることはできないであろう。あいつが自分は手を汚さず勝手に崩壊して、勝ったという優越を味わいたい人もいるかもしれない。

 どういう社会を作るかは一人一人にかかっている。政治家が、公務員が、有力者が、有名人がだけではなく、自分がどうするか、各自がどうするか、それが合わさって社会ができるのだ。

 なお、この記事を参考にしても著者は各自の健康に責任をもたないし、この記事で新型コロナワクチンを使うべきとも使わないべきとも意見を表明しない。新型コロナワクチンには複数の種類が存在するが、この記事では、種類により話が異なるか否かについても意見を表明しない。新型コロナワクチンについて正しいことは、各自で答えを見つけてほしい。また、法律など守るべきものに違反することを推奨しない。
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意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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