パナマ文書によって金持ちが租税回避地を使って節税したという話がでてくるであろう。
これがなぜ金持ちにとって痛い話かということについて考えてみよう。税金を仮に一定額集める場合に誰から集めるのかという問題がある。金持ちから集めるか金のない人から集めるのか。システムによって社会制度によってどうなるかが決まる。
金持ちといえども、イメージ人々からの好感は重視するかもしれない。金を持っていても、あいつは気に入らないやつだ、自分だけ金を持っている醜いやつだと多くの人から思われては嫌であろうし、批判のパワーが自分に向かうことを恐れているかもしれない。寄付したり、奉仕活動をしたりして、好印象を作ろうとするかもしれない。そして、裏では他人には知られないように節税しているのかもしれない。
実際金なんて、一定額あれば後はどうでも良いものである。食べ過ぎは病気になるかもしれないし、物といっても家にあるのもは使わないものがたくさんあってそのスペース及び物が無駄であったり、実際必要な金はいくらかという問題があるであろう。
では、何が怖いか。やはり、あいつは嫌だという雰囲気や、自分だけ金を持っていて醜い人間だという評価や、寄付や奉仕活動が自分が税を納めれば良いのにそれをしないでただのパフォーマンスとの評価が下されることや、食事に誘ってもどんなことをしても相手にされない無視、これらのことが怖いのではなかろうか。
一人一人自分の意識・思考が自分の行動となり、その行動が社会をつくる。社会運動も何を買い何を買わないかも自分の行動は社会を作ることにつながる。一人一人がどのような社会を目指すかであろう。社会をどんな力がどんな方向に動かすが、所詮人々のパワーがどこへ向かっているかではなかろうか。
そのためにも情報、ある物事に対して良い印象を作るか悪い印象を作るか、どんな情報を各自が持つか、各自に持たせ持たせないか、これが重要となってくるのかもしれない。
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