コロナウイルスへの対処として、アビガンはどうかという話がある。アビガンに限らず、このブログを参考にしてどうなっても著者は責任をもたないのでそのつもりで、という前提で書いていく。
治験か人体実験かもっと言えば国が承認した後の薬の使用に関する報告でも、使ってみなければ一人一人がどうなるか分からないわけで、どうそれに名前をつけるかの違いにすぎない。これだけコロナウイルス が問題だというのだったら、国がこの薬は安全かどうかと言ってもそれが絶対的に正しいとは限らず、これだけ問題にしているコロナウイルス に関しては、アビガンを自分の判断で使えるようにしても良いのではなかろうか。どうなっても自己責任ということで。国が認めた他の薬だって、何が起きるか使ってみないと分からないことには変わりない。なお、コロナウイルスということではなく一般論で、薬なんが原則使わない、使うのは例外という感覚が正しいだろう。
ついでに、ある目的の薬が別のことにも効くかとかいう議論があるのだったら、もしアビガンを使った人で、HIVとかその他何かに感染している人に、使った場合があったら、どうなったか、その感染が消えたということがないかついでに調べて欲しいものだ。
もっとも、コロナウイルス を離れて医療一般論ということで言ったら、医療を受けたせいで後悔する結果の人もいるであろうから、本当にそれぞれの医療が良いものか考えるべきという問題があるだろう。医者のせいで死ぬ人もいるだろう。そもそも、医療なんか例外的なもので、普段は関係ない、ヒーローではない、そういう位置づけで生きていられるようにするべきだろう。
医学なんか、物理と生物の観点で言ったら、物理よりも馴染みがない人でも理解しやすいだろう。医学系の学部へ入る前に物理を入試に使った人がいても、実際医学でやっていることはもっと数学を多用する他の理系の分野と比べて馴染みのない人でも理解しやすい内容だろう。
高校文系とは高校理系から数学理科を減らしたもので、理系でも英語や国語や地歴公民は学ぶ。もちろん数学理科が全てではないが、数学理科の計算や図形などを用いたあの内容を学んだということ自体、理系であればそういう経験をしているということで、そういう思考をする力を身につけていると言えるだろう。さらに言うと、物理化学選択の理系の方が生物化学選択の理系より、より計算や図形などを用いたあの内容を学んだといえるだろう。もちろん、スポーツ選手や芸術家を目指してなどで、もっと他のことをしていて理系のそれをする程時間がとれないので文系でというのを否定するつもりはない。しかし、理系の内容を学べば、あの内容を思考する力がついているだろうということだ。そういう力がある上で、物事を行えるということだ。だから、具体的な科学技術の分野をやろうとは思わなかったとか、文系に興味をもったとか、大学で文系に変わったとかでも、高校で理系、生物化学でもだが更に言うなら物理化学選択の理系を学んでということなら、理系のあの思考を身につけていてということになるだろう。
学歴が見栄えの良い人を批判する人がいるが、学校なんか支配者の統制の手段で、自慢するものでもないし、見栄えが良い学歴の人をねたむほどのものでもない。ねたんで攻撃するのは、よほど自分に自信がないのだろう。他人をねたんで攻撃しても、自分は相手よりすごい人だとか自分を大きく見せても、所詮従業員をしている人なら、会社の経営破綻とともに自己破産の人ほどリスクをとっておらず、権限も少なく、どこまで言っても経営者の指示を受ける立場だろう。その程度だ。何かを、会社でなくても、自分が代表者的な存在としてやっているのとは話が違う。経営者にしても、コロナウイルス で経済状況が悪化しても、それでも利益をあげ、資金繰りも困らない方法の可能性はあるわけで、それが簡単か難しいかはともかくとしても、うまくやったかどうかで物事は進行する。経営なんていつどうなるか分からないし、そんな自分が偉いものと言えないことは分かっているだろう。例えば、就職活動をしている人に偉そうな態度をとっている人は、支援なんか必要なく、コロナウイルス でなくてもインフルエンザでも風邪でも感染して、他人に迷惑をかけることなんかない、そんなすごい人なのだろうか。もっとも、重要な内容ほど出てきにくいものだろうから、就職活動をしている人でも、弱そうな人に見せかけているだけで、その話が出たら、面接官をやっている人が知れば自分を劣った存在と思う話があるかもしれないが、そんな話は決して出てこないのかもしれない。
なお、学校は統制の手段であるが、数学理科のあの思考をする力と言っているのは、必ずしも正しいのか、統制があるのでは、という議論はあったとしても、それでもあの思考をする力は一つの能力だろうということで、それがあって生きていて何かをしているのと、そういう練習をせずに何かをしているのは違うかもしれないという話である。矛盾を感じた人はそう理解していただきたい。
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