これから書く内容な一般論でだが、今のような学校は不要だと思う。まず、習っている内容が身についていない。学校で習っても、習い事で習っても、どこで習っても、習っている内容ができるようにならないのなら、そんなの意味がないだろう。では、自由に物事を考える学問、大学を想定しての話だが、本当に自由に考えるのであれば、その考えた内容を成績評価するのはおかしい。自由に考えた内容をある大学教員が評価するってそれって自由なのですか、自由でないですよねっと思う。自由に考えるのは学校と関係なく自分ですればすむ話だ。
さらに自由に学問という話だが、ハラスメントで学生が死亡する場合、ようするに学校に殺されたという場合もあるだろう。これでどこが学問の自由なのかさっぱり分からない。大学の自治とは、客から金を集め、学生を死に追い込もうが、セクハラをしようが大学教員の自由で法律は適用されない治外法権を目指す、そういう自治で、それに加えそういう学問の自由、それを大学は目指していると考えることができるであろう。女子学生に入学許可をする目的は、性風俗店に行かなくても無料で好きにできる対象を確保するのが目的ではないかとも考えることができるであろう。大学教員に何をされても黙っている、警察に被害を訴えないそれが大学が目指す理想の大学の姿であるかもしれない。こんな大学に金を払って行く価値があるのだろうか。
学校って金を払って、もっというなら無料でも行く価値のないところになっているだろう。三年間学校に行って数学ができるようにならずに代わりに白の下着を身につける技術を獲得する、白の下着でなければならない学校があるらしいが、将来、例えば大学に入り風俗嬢になるための訓練であろうか。
こんな学校に将来奨学金を返済しないといけないと思いながら行くのは苦痛にならないのかと思う。
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