報道について考えていきたいと思う。報道で何をテーマとしてとりあげるか、この時点で報道する人の価値観が入っている。オーストラリアの生き物を取り扱っても報道であるし、テニスの試合を扱っても報道である。何を報道するか、どれだけ時間を使うか、どの観点から報道するか、これらのことには報道する側の価値観が入ってくる。
報道とは絶対的なものではない。報道自体が一つのものの見方である。報道、これ自体が世の中で発生している出来事の一つであり、報道自体各個人が評価することができる対象である。
報道として、世の中に影響力が大きいものもあるであろう。しかし、自分が気に入らないからと言って弾圧するようなことがあってはならないであろう。もし、報道に対する弾圧が行われると、それは言論の自由の弾圧につながる。今、インターネットで多くの人が自分の意見を簡単に発表することができる。言論の自由とはすばらしいことであり守っていかなければならない。
大学で学問の自由がとかいうけれども、授業をして成績をつける人すなわち教員が好きに学問をしたところで、学生に本当の意味でその教員の研究を批判したり無意味なものと評価する自由、すなわち学生の学問の自由があるかは疑問である。大学の教員だって、研究費の問題があったりして学問の自由があるかどうかという問題があるであろう。しかし、インターネットでは多くの人が簡単に意見を述べることができる。
自由、これを守っていかなければならない。
PR