規模の大小はともかく社会運動は何かを目指しているものの、本当にそれを実現した社会にする覚悟を持ったものであるのかという問題があるだろう。どのような形であれ、現状を変えることを求める場合、変わった姿の社会で良い結果になるかもしれないし、悪い結果になるかもしれない。
単に社会運動をするだけでなく、本当にそれが実現した時にそのような社会に住むことを覚悟しているのか、その際自分が実現した内容を動かす中心になる覚悟があるのか、あるいは担当者にその方向で実行することを求めているのか、その辺りのことがどうなのかということがあるだろう。
大きめの変革を求める主張をしておいて、実際は社会全体の主張のバランスを考えてそれよりは小幅な変革になるだろうという計算のもと、本当に実現したいことを目指す社会運動もあるかもしれない。
社会運動をしているものの実現させたいが実現しないと思っていて敗北を予想している場合や、敗北して構わず勝つための戦略もなく社会運動をするだけしていてそれで満足の場合や、負けるのが目的だが社会運動をしているという形を整える相手側の人間がなりすまし・撹乱・スパイ型の場合もあるかもしれない。
社会を変えるのは難しくても自分が変わることはできるであろう。そして、社会や自分以外の人がどれだけどうなるかということではなかろうか。
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