テレビとか新聞とか、もはやそれがどうしたと思って生きるのが良い時代ではなかろうか。テレビとか新聞ってそこにでてくるものって選ばれていて、こんなのはでてこないっていうものがある、でてこない情報がある、ということではなかろうか、また仮にそういうことだということで以下の議論をすすめる。
テレビとか新聞以外にも、本や雑誌とかインターネットからでも情報を得ることができる。ただ、どれだったら多くの人が見てくれるかという問題はあるであろう。
見る方からしたら、テレビ、新聞、本、雑誌のどれでも作る人が情報を選んでいる。インターネットは自分から確かに情報を選ぶことができる面もあるように見えるが、ニュースのリンク一覧が出ているサイトでは何にリンクするかをそこが選んでいるし、検索サイトにしても検索サイトがこのサイトは表示されないようにとかやろうと思えばできるだろう。
しかし、基本的にインターネットであれば、例えテレビや新聞が扱わないとかあまり見ないような時間帯や場所にのせるような方向のテーマであろうというものでも、また、あるテーマの意見でも、この意見ださない情報だというようなものでも、扱うことができるし、仮にこの意見はテレビや新聞ではでてこないというものでも、好きなだけインターネット上にだすことができる。
だったら、見る方はテレビや新聞でなくインターネットを使った方が情報をよく知れることにならないだろうか。だって規制された情報を見るよりも、好きなように主張したり説明したりしているものの方が、言いたいことを言い残すことなくだすことができるのではなかろうか。
では、情報を発信するという点ではどうだろうか。テレビとか新聞に自分のだしたいものを誰でも自由にだせるのかという問題がある。インターネットなら比較的簡単だ。内閣の閣僚を決めました、各党のコメントです、誰々のコメントはこれです、というのを聞かなくても、自分の名前をなのってでも匿名ででも、私のコメントはこれです、このテーマに対する評論家の意見ではなく私の意見はこれです、私の意見をインターネットを通して発信できるのではなかろうか。一人一人が報道、評論、解説を行うことができるわけである。
もはや、テレビや新聞ってどうでもよいものなのかもしれない。
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