忍者ブログ

社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

生物について

生物の研究といったとき、遺伝子とかタンパク質とかそういう研究がもてはやされる時代なのかもしれない。たしかに、それは金儲けにつながる可能性がある。医学的な方面で金儲けにつながるというような可能性があるであろう。

 子供が喜びそうなことと言えば、動物の行動に関することのようなものではなかろうか。しかし、そこからはあまり金儲けにつながりそうな様子がないのではなかろうか。

 たしかに、医学の進歩によって、恩恵を受けているということはいえるかもしれない。医学をまったくもって否定してやろうというつもりはない。しかし、医学といえどもできてせいぜいこのくらいかという面があるのではなかろうか。

 自然界で生物は活動している。生物の行動とか生態学とか自然治癒力とか、そういう方面を注目していくとなにかしら新たなものの見方ができるかもしれないのではなかろうか。
PR

参政権

 人々は政治への参加権利を獲得して自分の意思を政治に反映させる機会を作った。

 参政権は多くの人に常に与えられていたものではない。日本でも、選挙権が制限されていたのが、次第に拡大していった。イギリスでも、参政権は次第に拡大していった。古代ローマだってホルテンシウス法なんて、参政権かどうかというはなしはおいておいても、パトリキとプレブスの間の力関係で、プレブスの政治への影響力を向上させたと言う話である。

 人々は、自分の意思を政治へと反映させるために努力をしてきたと言える。今、日本では選挙権を持っている人がいるであろう。しかし、選挙に行かない人もいる。今ある権利と放棄してしまうと、自分の意思を政治へと反映させる機会を失うことになる。自分はどんな社会を作りたいのか、そのために投票をどうすればよいのか、投票を行わないのは自分は他人の思うままの社会で構わないと言っているようなものであるし、どうぞ自由に支配してくださいと言っているようなものである。人々が獲得してきた政治への参加権利を放棄してしまってはもったいない。

 社会や社会システムにともなって起こる自分の生活に不満を持っている人は、自分は恵まれていないと思うかもしれないが、そうなるように作為であれ不作為であれ社会・社会システムをつくることに加わって、自分も不満がある状況を作っている一人かもしれない。

 自分が持っている政治への参加権利、これはこれまでの人が獲得してくれたものであり、大切に使っていくべきものである。

自分で見て、自分で考える

鳥取大学2012年度の英語の入試問題に、こんな内容が書かれている。「モナ・リザ」の絵は現在では名声があるが、その絵はどういう経過を経て現在に至ったのであろうかということである。何世紀も今程の評価はなかったようである。泥棒がきっかけとなって評価が高くなったようである。フランスにあったのをイタリアへ持っていこうということで、泥棒をした人がいたようである。これが「モナ・リザ」の評判が高くなるのにつながったようである。

 さて、私は「モナ・リザ」の評判を下げるためにこの話を紹介したわけではない。芸術は自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分で考えることが大切ではないかということを指摘するためである。評論家の評価はその評論家の評価である。賞といってもそれはその賞を選んだ人の評価である。世間に流布する評価はあくまでも世間の評価である。自分の感性を大切にすべきである。他人の作った評価に何も考えずに従うだけだと、他人の世界、価値観、感性に服従しているだけである。

 今回は芸術について述べたが、自分で吟味するということは、他のことでも重要なのではなかろうか。例えば社会や政治のこと、選挙での投票はどうするか。選挙の投票で世の中は変わり得る。自分でよく考えることが重要である。

自分の一票

選挙で自分の一票を投じることは大切である。どうせ投票しても無駄ではなく、自分の意見を投票に示すべきである。選挙で自分の意思を表示できる。これを放棄してはもったいない。最高裁判所裁判官の国民審査にしても、自分の意思を表示できるチャンスである。バツ印をつければやめさせたいという意思を表示できる。全員良いのであればそれで構わないが、やめさせたければバツ印をつければよいわけである。人にバツ印をつけるなんてやめておいた方がよいと思う人がいるかもしれないが、やめさせたければバツ印をつける制度なのであるから、やめさせたければバツ印をつければよいだけである。株主総会の投票にしても自分の意思を表示できる機会である。アンケートを求められた場合だって自分の意思を示す機会である。

 人に悪い評価をつけたりバツ印をつけるのは気が引けるなんてことを感じなくとも構わない。自分の意思を示さなければ選挙や最高裁判所裁判官の国民審査や株主総会の投票やアンケートをしている意味がない。人に悪い評価をつけたりバツ印をつけることに対して否定的なことをいう人の意見に構わず自分の意思を表示しないと、自分の意思が伝わらない。自分の意思がカウントされずにで世の中が動く可能性がある。

 自分の意思をしっかりと示すとよいであろう。自分の意思を示さないと損するかもしれない。

未熟な経営者ー野依良治ー

理化学研究所のトップであった野依良治がトップから去った。この野依という人物、問題経営者であるようだ。STAP細胞問題に関してどうも嫌な展開になってきたなという時、組織の代表なら自分に最大の責任があるということぐらい普通たやすく理解するものであり、その結果として自殺者なんかださないように運営すべきものである。しかし、笹井芳樹は自殺した。まさに、最悪の出来事である。

 野依良治は未熟な経営者である。未熟な経営者であるがゆえに、死者がでるような運営をしたわけである。組織の問題はトップの責任である。
STAP細胞問題で起きたことは、まさに未熟な経営者がひきおこした問題である


 野依は自分がでるべき場所が分かっていない。野依が不適格な場所にでていくから悪いわけである。野依は組織のリーダーや経営層や政策決定に関わる場所などのようなところには二度とでていかないのがよいこんな人物がトップあるいはそれに近い場所で動かれると、社会にとってよくない

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

ブログ内検索

このエントリーをはてなブックマークに追加