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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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野依良治への退場勧告

 野依良治が理化学研究所のトップから去った。しかし、こんなことで幕引きがはかられて許されるわけがない。なぜなら、笹井芳樹が自殺したからである。

 組織のトップにはその組織のことに関してあらゆる責任がのしかかってくる。このことは承知の上でトップにならなければならない。STAP細胞に関する問題がとりあげられるなか、関係者の状態にも気を配る責任がある。もちろんSTAP細胞に関わった笹井芳樹には責任があるであろう。自殺したから責任が消えることではない。しかし、不利な状況におかれた笹井芳樹の悩みや状態を知らなかったとすればあまりにも無責任であるし、知っていたら知っていたで何らかの精神的サポートをし、自殺にはならないようにするべきことである。例えば、刑事被告人であったとしても、マスコミからバッシングされている犯人と思われているような人物でも、弁護士をつけて自分の見方にすることができるのが日本社会である。笹井芳樹をサポートすること自体何ら問題ないはずである。

 私以外からも、野依に関してはトップとしての無責任への批判の声がある。私は思う。十分な支援を行ない助けることができなかったと言う点において、笹井芳樹を殺したのはまさに野依ではないかと。このような人物が、様々な権力またはおいしい部分がありそうな場所へでてくることは許されない。事務員などの職員が働いているところへえらい人だとかいうような感覚の立場で出てくることなど許されてよいはずがない

 野依良治へ退場を勧告する。無責任リーダーなど必要ない。いつから君はタレントになったのだ。いろいろな場に君みたいな人物が出しゃばる必要などない
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キラキラネーム

子供に変わった名前を付ける人がいるようである。考えられることとして、漫画の名前をつけたり、洗剤の名前をつけたり、その他名前としては変な名前をつけたり、そういうたぐいのことが考えられる。いじめられるのではないかとか、本人が嫌がるのではないかとか、そういうことが考えられる。名前は普通の名前がよいであろう。

 どうしても本人が違う名前を使いたいというのであれば、後でペンネームとかそういうたぐいのことをすることも可能性として考えられる。政治家でも、本名以外を使っている人がいるであろう。だから、本名以外を使っている人なんて世の中ごく普通に存在する。

 どうしても子供にキラキラネームをつけたいと思うのであれば、自分が本名以外以外を使うような活動をすれば良い。そうかといって、そういう活動をするのはそう簡単ではないという人もいるかもしれない。

 しかし、わりとハードルが低そうなこともある。例えばブログなんかごく普通にニックネームを使ったりしているであろうし、ブログ以外でもニックネームを使う場はあるであろう。そういう場で、許される範囲で本名以外をつかうというのが代替案として考えられる。

 子供に名前のせいで嫌な思いをさせることは避けるべきである。
 

環境問題

環境問題を経済と絡めて考えると大変難しい。環境を守る、だから無駄遣いをやめるというのは良いことであろう。これを言えば、この人は良いことをするなとなるであろう。電気の節約、ガスの節約、水の節約、いらないものを買わない、空箱とかでも使えそうなら使い、新しくものをなるべく買わない・・。

 しかしである、これをやったら経済はどうなるか、ものが売れない、商品の買い控え、景気が悪い、ということになるのではなかろうか。もしかすると、その後、政府による公共事業とか経済対策政策とかいったものがでてくるかもしれない。そうしたら、そのぶん消費される。しかし、それは本当に必要かどうかという議論があり得るであろう。必要ないのであれば、それは無駄遣いである。環境を守ってはいない。

 景気が良いというのは人間の活動によって環境を破壊することにつながる。本当に環境保護を考えるのであれば、ものを買わない、新しいものを求めない、今よりも物質が少ない生活をする、このライフスタイルへの転換を決断する必要があるであろう。

 今よりものが少ない生活ができるか。できるであろう。今、日本には必要ないものがたくさんある。だから、それをやめれば、よいことだ。一人一人がどのような未来を選択するかであろう。

将来の日本ー少子化と関連して

日本は少子高齢化している。将来日本はどうなっているか。移民とか日本から人が出て行くとか、自然災害等で日本に住めなくなるとかそういうことを除いて考えてみよう。

 単純に考えれば、口構成にしめる高齢者の割合が増え、若い世代の割合が減ると考えることができる。では、このときなにが問題になるか。年金はどうするかという問題があるであろう。どこにどう支出するかの問題でなんとかなるのかもしれない働き手が足りなくなるのではという問題がある。しかし、今の世の中別になくても構わない仕事だって世の中にはたくさんあるのではなかろうか。縄文時代とか鎌倉時代とかそういう時代と比べれば物はたくさんあるしはるかに物質的に豊かになっている。明治時代や第二次世界大戦が終わるまでと比べても物質的に豊かになっている。インターネットなんて、文字とか絵とか音声とかを簡単に届けてくれるし、ものすごい時代になったものである。だから、最低限の物があれば生きていけるし世の中の物やサービスが多少今より少なくなったところで困ることはないであろう。

 しかしである、やはり困るかもしれないことがあるであろう。簡単な作業だけれどやってくれる人がいないような分野であれば、市場で価格が上がり、賃金が上がり、それで解決というようにできるかもしれない。しかし、熟練がいるような内容だと、する人がいなくなると育成に時間がかかったり、技術に継承という問題が起きる可能性がある。資格による規制がある分野だと、資格取得の期間を短縮しないとなかなか人が入ってくるのが難しいが、その辺りの問題があるであろう。

 さあ、未来はどうなっているか、どうすべきなのであろうか。

就職活動ー問題

就職活動に関して問題点としてとりあげられることに、応募者が予約した説明会や面接に連絡なしに来ないということがあるであろう。確かにこのことは問題かもしれない。しかし、では逆に採用側は完璧かというと、これまたそうではないであろう。例えば、応募書類の郵送を求めた場合に届いたかどうか連絡してこないとか、応募したり面接や筆記試験を受けた際に通過したのか否かの連絡がないとかあったとしても連絡があったということが分かりにくいというような方向の話はあるのではなかろうか。何日以内に通過した人のみに連絡しますというような連絡でもあれば不採用ならそうと分かり、気持ちを切り替え次に向けて進むことができるし、そこは無理であったということで別の道にと早く切り替えることができるのであるが、結果がどうなったか分からないというのは迷惑であろう。応募書類の郵送を求めた場合だって、個人情報が入っているのであるから本当に届いたか連絡ぐらいすべきものであろう。応募者の方も、自分が予約した説明会や面接は行かないなら行かないで連絡ぐらいすべきであろう。
 もちろん、すべての応募者や採用側が上で述べたようなこれは問題ではないかというようなことをしているわけではないであろう。応募者にしろ採用側にしろやっているのは人である。やはり、お互いが気持ちよくやれるようにすべきなのではなかろうか。

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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