医療による被害で、発生するまでに医学関係産業は儲け、発生後にも被害の治療で儲ける。そして、医療問題指摘産業も儲ける。医療問題指摘産業を無料のものも含め、被害防止という意味で使うのは仕方がないかもしれないが、被害にあいたくないものだ。
ところで、各自がどう考えるかになるが、医療の問題点を指摘する医者と、被害が発生した医療を推進する医者は、裏でつながっているのだろうか、どうだろうか。問題が起きても免責になりやすい社会構造を作り、問題医療を行って儲け、他方で医療の問題を指摘して儲け、裏でつながっているかどうか、そういうことをどう考えるかだ。
各自の健康にこの記事を参考にしても著者は責任をもたないが、健康に気をつけるのは自分ででき、医者でなくともやり方が分かればできる場合はあると思うし、本当に薬を使うべき時でも薬の使用に医者や薬剤師が法律面ではなく、使用に関する能力の面で必ず必要なのか疑問だし、薬や医療器具には、医療従事者というよりも科学技術者の貢献が大きいと思う。
また、医療従事者で医療による健康被害を受けた場合がもしあれば、それを理解し避けれないのであれば、もはや健康の専門家とは言えないだろう。
医療による被害が発生し、受けない方が良かった場合、医者がいなくて受けれなかったり、お金がなくて受けれない方が良かったのかもしれないし、お金がないから買うことができなかった国は裕福でなくて良かったとなるのかもしれない。と言っても、他の本当に必要な医療を受けれなかったら嫌だとか、お金がないと本当に必要な他のものを買えず困るかもしれないが。
日本社会はパワハラのような問題があり、他人よりも優越したものが上という社会かもしれないが、医療の被害を受けダメージが大きい場合、被害を避けた人は優越した上の人となるのかもしれない。しかし、ルールに従ったスポーツでの勝ち負けではなく、こんなので優越した上となるのはまともな社会だろうか。
問題医療が発生した場合に、政治家、行政公務員、医療従事者、製薬会社、マスコミ、大学従業員のような人で、その問題医療を推進した人は、その医療の被害にあうべきとは言わないが、あったとしても自分が推進したという部分がある。しかし、そうでない人でも、例えば、食品添加物は自分の仕事で何か言えば食品添加物も言い返される、だから、仕事だから問題医療を推進した人も仕方ないという人は、問題医療をするかしないのどちらかという問題に、推進してかまわないというスタンスをとったことになるだろう。そして被害を受けた場合、単なる被害者で問題医療をやって良いなんて態度をとったことはないと言えるだろうか。
例えば、食品添加物入りのその程度がひどい方のパンをみんなが買わなければ、遠くの町ではなく、自分の町の店からそれが売れなければなくなるのではなかろうか。そういうことが問題医療がどうなるかということにつながるのかもしれない。もっと違う社会を作る可能性があるかもしれない。一人一人の選択かもしれない。
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