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社会問題研究所

社会現象の考察。政治、経済、科学、文化など。  このサイトはリンクフリーです。

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大学入試に関して提案

大学入試の英語で自由英作文を出題されている。そこで、大学に是非やって欲しいことがある。それは、受験生の自由英作文を公開することである。予め答案をパソコンで打って誰が書いたか分からないようにして公開するということを別にやっても構わないという人から許可を取って是非とも実行していただきたい。合格者、不合格者、高得点か否か、そういうことは関係なく、こんな答案を書いていましたということで公開していただきたい。

 出題された自由英作文に対してどんな発想で受験生が解答しているのか、採点者が読むだけでなく、広く社会に役立てることができるような内容やなるほどと感心するような内容もあるかもしれないのであるから是非公開して欲しい。

 また、英語自体の間違いに関しても、こういう間違いをしているのだということを多くの人が見て学ぶことができるので、公開することに大いに意義があるであろう。

 自由英作文の公開に応じてくれた受験生にはお礼に図書カードをプレゼントとかそういうたぐいのことから可能なことをすれば良いのではなかろうか。
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楽器の練習

楽器をうまく演奏するにはどうすれば良いであろうか。それはもちろん練習であろう。しかし、とにかく練習しさえすればよいということでもないと思う。もちろん全ての楽器を練習したわけではないので、自分の経験の範囲になってしまうのだが、誰かに習うのが良いと思う。というのも、初めどうしたらよいかよく分からない段階で、自力でやろうとしてもうまくいかずに結局時間の無駄に終わってしまうのではないかと思うからである。誰かうまく教えてくれる人を見つけるのが近道ではないかと思う。

歯科医師

歯科医師が余っていると言われている。日本全国を見渡した時、都会もあれば田舎もあり、それぞれの地域で実際のところどうなのか分からない。ただ、ひとついえることは、歯科医師は世の中に必要であるということである。やはり、歯科医師にきちんとした仕事をしてもらわないと困る。

 歯科医と言えば、歯に問題が生じたときに治療ということで存在するという考え方がある。そういう面はもちろんあり、そのこと自体を否定はしない。しかし、これからの時代、歯に問題が生じる前の予防という役割を担ってもらいたい。予防により問題が生じるのを防ぐことができたらさぞかしすばらしいことであろう。誰も問題が生じて欲しいなんてことは思わないだろう。

 歯科医師過剰と言われるが、歯科医師が予防の役割を担うように歯科医療行政が取り組み、歯科医師が余っているならその歯科医師を全国民の歯の健康維持のための予防に振り向けるようにしてもらいたいものである。まだまだ予防ということで歯科医師を十分に活用しきれていない人がいるであろうから。同じお金を使うのなら、治療よりも予防に使った方が良いであろう。

英語

 英語と言えば、学校で習う英語を思い浮かべる人もいるであろう。今も使っている人、学校で習ったけど使っていない人、学校で習ったけどほとんど分からなかった身につかなかった人、様々であろう。

 英語と言っても様々な英語があると思う。例えばアメリカ英語、アメリカ英語でも地域によって年齢とか人によって異なり一つの英語ではないであろう。イギリス英語、オーストラリア英語、アフリカの人が使う英語、インドの人が使う英語、ドイツの人話す英語、様々な英語があるであろう。ネイティブだって全ての英語が分かるわけではない。内容的の面から言えば、例えば科学英語、日本語で書かれていたって専門的内容だと全ての日本人が全ての日本語を理解できないのと同じように、英語でも専門的内容だとネイティブだって全ての英語が分かるわけではないだろう。

 英語で会話するときに重要なことは、相手の言っていることを正確に聞き取り、自分の伝えたいことを正確に伝えることである。発音とか表現が英語的とか言ってみてもこれができないと意味がないであろうし、仮にネイティブがすばらしい発音で話したって優れた表現を使おうとも、相手が理解してくれなければ会話は成り立たない。基本的なこと、これが重要である。

 文字の場合でも、書かれている文章を理解することが重要である。自分が書く場合だと、間違った英語を書くと格好が悪いというのはある。状況によれば、大問題になる場合もあるであろう。しかし、友達同士で英語の学習中と相手が分かっている場合、相手は間違いがあることを理解してやり取りしていてどんどん使っていって構わない場合もあるであろう。

 高校入試や大学入試の英語、それはそれで一つの英語である。それを良いか悪いか議論してみても、合格したければ入試の英語をできるようにするまでのはなしである。国語だって
高校入試や大学入試ででていることだけが国語ではないであろうし、理科だって高校入試や大学入試ででていることだけが理科ではないであろう。それと同じことである。

 世の中には様々な英語がある。自分の目的を達成できるように使っていくことが重要であろう。それは日本語だって同じであろう。また、世界中でネイティブか否かを問わず様々な人が英語を使っているのであるから、様々な英語がでてきて当然と思うのが合理的であろう。

人類の未来ー可能性

人類が将来どのような姿で存在するか、可能性を考えてみようと思う。バイオテクノロジーが進歩して、将来科学技術によって人類がどのような姿になっているかという問が考えられる。

 もちろん、遺伝子操作によって人類を改変してしまうことへ、安全性の危惧や選別につながるであろうことから反対の声がある。しかし、法規制で問題がない場所で人類への生命科学の応用により、人工的にデザインした遺伝子をもつ人間が多く誕生することはあり得るであろうし、また、生まれてしまえば一人の人として社会構成員としてともに生きていくことになる。

 人工的に遺伝子が設計された人がある程度社会に登場してくれば、それで構わないということになり、
人工的に遺伝子を設計することが当たり前になるかもしれない。

 生命科学により人類を操作することが今後どうなるか分からない。この技術は人類自体を大きく変えてしまう可能性もあるのではないか。慎重に議論すべき問題である。しかし、自分の意見を実行できる場所で実行する人もでてくるのではなかろうか

意見

自分が評価すれば、評価した対象の社会での影響力・価値が上がる。どう評価するかは基本的に自分次第。 個人の力が弱いのは、経済的基盤が原因の一つ。良い店や、小さな店で買い、そこへお金が流れるようにすれば、社会が良くなったり、個人の経済的基盤が強くなって各個人の力が強くなるであろう。

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